バーンズビル
市
Burnsville
グランドマーケットスクエア
愛称:川の南
ダコタ郡内の位置
座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯44度46分04秒 西経93度16分39秒 / 北緯44.76778度 西経93.27750度 / 44.76778; -93.27750
バーンズビル(英語Burnsville)は、アメリカ合衆国ミネソタ州のダコタ郡にある都市。人口は6万4317人(2020年)。ミシシッピ川とミネソタ川が合流する地点の南岸に位置している。ミネアポリスのダウンタウンから南に24キロメートルほど離れた所にあり、ミネアポリス・セントポール都市圏に含まれる。
元々はアイルランド系移民によって開拓された農村だったが、州間高速道路35W号線の建設により飛躍的に発展した。バーンズビルのダウンタウンは「Heart of the City」と呼ばれ、スタイリッシュなショップや分譲マンションなどが立ち並ぶ地域となっている[3]。バーンズビル交通センターは他の5つの郊外の市を結ぶ路線バスを運行する「MVTA」の拠点および本部となっている。
バーンズビルという地名は、アイルランド人の入植者および地主だった「ウィリアム・バーン」に由来する。本来の苗字は「Byrne」だが「Burn」と間違って記録され、また修正される事もなかった[4]。
バーンズビルにはショッピングモールやドッグパーク、クロスカントリーやマウンテンバイクのコース、高低差94メートルのスキー場、ミネソタ川自然保護区など多くの魅力的な施設がある。 ミネソタ川を狩猟などで下ってきたネイティブアメリカンのスー族の支族であるダコダ族(Mdewakanton)がこの地に居住を始めた[5]。Mdewakantonが先祖代々の地であるMille Lacs湖からミネソタ川とミシシッピ川の合流地点に大移動を始めた際に、1750年ごろBlack Dogを酋長とした集団がBlack Dog湖(Black Dogから名を取った湖)とミシシッピ川の間に狭部に村を築いた。その場所は現在のBlack Dog Power Plantがある[5] [6]。250人以上のダコダ族が居住し始め、初期の開拓者にもこの村が報告されていた。バーンズビルの南端にあるCrystal湖はかつて「Minne Elk」と呼ばれ、豊富な魚が捕れ、娯楽や埋葬などに使用され[7]、Buck Hillからシカなどが水を飲むために集まる場所だった。Buck Hillという名は当時の開拓者達がシカが下りて来る丘として名付けられた[5] [8]。3つの巨大な墳丘墓が後にヨーロッパからの開拓者によって発見されている[9][10]。 ダコダ族の村は1851年に譲渡され、Shakopeeを酋長にした村となった。この地は現在はPrior湖近くにあるShakopee-Mdewakanton居留地となっている[11]。最初のヨーロッパからの入植者はアイルランド・スコットランド・ノルウェーからの農民達で、セントポールから下ってきた。そのうちの一人がWilliam Byrneで、1840年にアイルランドのキルケニー県からカナダのハミルトンへ移住してきた一人だった。彼は1855年に現在の郡道34号線とスコット郡の近くにJudicial Roadの交差点(サベージの古いダウンダウンの近く)がある場所に入植し、その後教会・学校・墓地などへ土地を寄付し町の首長にもなった。1858年にダコタ郡委員会が「Byrnsville」を承認し、北はミネソタ川まで、東はイーガン・アップルバレーまで、南はレイクビルまで、西はスコット郡までとした。William Byrneからの名前の由来がスコットランド訛りの「Burns」という苗字との誤認もあり[12]、町の担当者が「Byrnes」を「Burns」と記録してしまったが、1960年の市制となった際に「Burnsville」と綴る事が広まった。学区については現在も同様に管理されている。バーンズビルは議会による境界線の見直しがあるまで元々現在のサベージの南側のダウンタウン(ハミルトンと現在は呼ばれている)場所にあった。アイルランド及びスコットランドの開拓者達の名前が現在でも多く町の道・公園や長老派教会・プロテスタント・カトリックの教会に残されている[12]。 1880年にLewis Juddがクリスタル湖の北側の湖岸に「Lakeside Hotel」を建設し、湖でのレンタルボートも提供した[4]。19世紀にミネアポリスのダウンタウンから長距離にある事が考慮され、1864年に鉄道が通るようになり、レイクビルの近くのCrystal湖・Orchard湖・Marion湖沿いにコテージなどが建設された事からバーンズビルはリゾート地として発展した。The Bloomington Ferryが最初のBloomington Ferry橋を建設するまでフェリーを運航し、1920年にLyndale Avenue Drawbridge(跳ね橋)がBlack Dog湖の隣りに建設され、ミネアポリスの南北高速とミネソタ南部の郊外の町を結ぶ初めての橋となった。その後Lyndale Avenue Drawbridgeは何度かの修復などがされ現在は「I-35W Minnesota River bridge」となった。第二次世界大戦後の建設ラッシュ直前の1950年は人口583人の静かな町で、学校では8学年の生徒が1つの部屋で授業が受けられる程だった[13]。 州間高速道路35W号線が1960年に通るようになってから、第二次世界大戦後の急激な開発の機運の高まりと共に、その後20年はバーンズビルも過去最大の人口増加を後押しされた。ブルーミントンからの合併の試みなどもあったが、1964年に「Byrnesville」として市制が施行された[14]。住宅の建設ラッシュが始まり、当時市長だったConnie Morrisonは住宅地から歩ける距離にショッピングモールを建設する展望を語った。1977年にBurnsville Centerがオープンし、郡道42号線が商業の中心道路となったことからバーンズビルも地方都市として発展した。
歴史