この項目では、イタリアの都市について説明しています。その他の用法については「バーリ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
旗紋章
行政
国 イタリア
州 プッリャ
県/大都市 バーリ
CAP(郵便番号)70100
市外局番080
ISTATコード072006
識別コードA662
分離集落
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
地震分類zona 3 (sismicita bassa)
気候分類
バーリ(伊: Bari ( 音声ファイル))は、イタリア共和国南部の都市で、その周辺地域を含む人口約32万人の基礎自治体(コムーネ)。プッリャ州の州都であり、バーリ県の県都である。
アドリア海に面した港湾都市であり、東地中海の国々と広範囲な貿易をおこなう商業の一大中心地である。サンタクロースのもととなった聖人ニコラオス(聖ニコラ)ゆかりの地として巡礼地ともなっている。 日本語文献では「バーリ」のほか、「バリ」とも表記される。 バーリはバーリ県北部地域にあるアドリア海沿岸の都市である。アンドリアから南南東へ約50km、ターラントから北北西へ約79km、ブリンディジから北西へ105km、ナポリから東北東へ約220km、首都ローマから東南東へ約374kmの距離にある[4]。 隣接コムーネは以下の通り。 バーリの旧市街は岬にあって新旧の港をわけている。ここにサン・ニコラ聖堂(11?12世紀)と大聖堂(12世紀後半)という2つのロマネスク様式の教会がある。隣接する平野には新市街がひろがり、1924年創立のバーリ大学がある。 バーリは古代にはバリウムと呼ばれた。もとは古代ギリシャの植民都市で、後にローマ帝国の商業の中心地となった。その後はランゴバルド族の支配に服し、847年から879年まではイスラムの支配下にあった。イスラムからの奪還を目指すランゴバルドの要請で879年に東ローマ帝国が攻略し、その支配を受けた。1071年、ノルマン人によって征服されたことで、東ローマ帝国の南イタリア支配が終わり、12世紀前半に成立したシチリア王国の統治下におかれた。第二次世界大戦中はイタリア海軍の主要な基地となったが、1943年9月には連合国軍に占領された。同年12月2日にドイツ空軍によって空襲が行われ、港湾施設などに多大な被害を受けた。 バーリの守護聖人はサンタクロースの元ともいわれるミラのニコラオスである[5]。イタリアでは彼を一般に「ミラのニコラ」とは呼ばず、「バーリのニコラ」(Nicola di Bari)と呼ぶ。ニコラオスの不朽体はバーリに置かれている。 ニコラオスは3世紀から4世紀にかけて小アジアのミュラ(ミラ)で大主教を務め、多くの奇跡をあらわしたとされ、聖人とされた。不朽体ははじめミュラに置かれていたが、小アジアがイスラム教徒によって征服される混乱の中でバーリの船乗りによって持ち出され、1087年にバーリのサン・ニコラ教会に安置された。スヴェヴォ城スヴェヴォ城 バーリ料理は、プーリア近辺で生産される3つの農関連の産品、麦、オリーブ油、ワインを基盤としている。郷土料理は地元で採れる様々な果物や野菜によってより豊かになっている。地元産の小麦粉は家庭で焼かれるパンやパスタに使用され、特に耳のカタチをしたパスタであるオレキエッテ、そのバリエーションであるレキエッテーレ 手作りの生地はタマネギ、アンチョビ、ケッパー、オリーブなどを詰めたカルツォーニや、モッツァレッラやリコッタチーズを入れた、油で揚げたパンツェロッティ、トマトやオリーブ、オレガノの入れたフォッカッチャ・アラ・バレーゼ
名称
地理
位置・広がり
隣接コムーネ
アデルフィア
ビトント
ビトリット
カプルソ
ジョヴィナッツォ
モドゥーニョ
モーラ・ディ・バーリ
ノイカッタロ
トリッジャーノ
ヴァレンツァーノ
主要な都市・集落
歴史
文化サン・ニコラ教会サン・ニコラ像
バーリの聖ニコラ
料理と美食文化オレキエッテ料理