バーミンガム・ダービー
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バーミンガム・ダービーセカンドシティ・ダービー、
ウェストミッドランド・ダービー

都市、地域 バーミンガム
初開催1879年9月27日
チームアストン・ヴィラFC
バーミンガム・シティFC
最多勝利アストン・ヴィラFC(51勝)

バーミンガム・ダービー(英語: Birmingham derby)は、イングランドバーミンガム市に本拠地を置くふたつのサッカークラブ、アストン・ヴィラFCバーミンガム・シティFCの対戦のことである。バーミンガム市がイギリス第2の人口を持つ都市であることから、イギリス国内ではセカンドシティ・ダービー(英語: Second City derby)[1][2]と呼ばれることが多く、バーミンガム市が所在する地域名からウェストミッドランド・ダービー(英語: West Midlands derby)とも呼ばれる。特に断りがない限り、この項ではアストン・ヴィラFCをヴィラ、バーミンガム・シティFCをバーミンガム、自治体としてのバーミンガムをバーミンガム市と表記する。

両クラブが異なるディビジョンに所属しており対戦の機会がなかった1988年から2002年を除き、一般的には両クラブは互いを最大のライバルと見なしている。対戦がなかった期間は、ヴィラの最大のローカルライバルはコヴェントリー・シティFCであり、バーミンガムの重要なローカルライバルはウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCであった。両クラブとも教会の信者によって結成されたクラブ(ヴィラはメソジスト派、バーミンガムは様々な宗派)であるが、現在では宗教的背景は消し去られている[3]。ヴィラの支持層は市北部郊外在住の中産階級が多く、バーミンガムの支持層は市南部や東部在住の労働者階級が多いとされることがある[4]
歴史
両クラブのリーグ戦での成績両クラブのリーグ戦での成績一覧(臙脂:ヴィラ、青:バーミンガム)
第二次大戦前の対戦

両クラブは1879年9月27日に初対戦したが、バーミンガムはまだスモール・ヒース・アリアンス(Small Heath Alliance)という名称であった。この試合はスモール・ヒースのマンツ・ストリート・グラウンドで行われ[5]、格下とみなされていた[6]スモール・ヒースが1-0で勝利した[7][8]。1887年、ウェリントン・ロードで行われたFAカップ2回戦で両者が対戦し、ヴィラが4-0で勝利してダービーにおける初勝利を挙げた[9]。リーグ戦での初顔合わせは1894-95シーズンであり、ヴィラが2-1で勝利した[10]。第一次世界大戦勃発前までにヴィラは6度のリーグ優勝・5度のFAカップ優勝を飾り、バーミンガム市のみならずイギリス中で人気のあるクラブだった。1925年にヴィラ・パークで行われたリーグ戦では、試合終了11分前の時点でホームチームが3-0で勝利していたが、試合終盤にバーミンガムが立て続けに得点してドラマチックな引き分けに持ち込んだ[11]。1926年にはヴィラがトム・ウォリング(Tom Waring)と契約して新聞の一面を飾り、彼がリザーブチームで初出場したバーミンガムとのリザーブ戦には23,000人もの観客が集まった。
第二次大戦後の対戦

1962-63シーズンに両者がフットボールリーグカップ決勝で激突した試合は特に重要な対戦に数えられる。このシーズンのリーグ戦ではヴィラが4-0で完勝していたが、リーグカップではバーミンガムが2試合合計3-1でダービーを制し、クラブ初の主要タイトルを獲得した[12][2]。1970年代後半から1980年代前半の両クラブはファースト・ディヴィジョン(1部)が定位置であり、両クラブともにクラブ史に残る好成績を残した。1980-81シーズンはヴィラがバーミンガムに2連勝し、さらにリーグ優勝を飾った。1981-82シーズンにはヴィラがUEFAチャンピオンズカップで優勝したが、1982-83シーズン最初の対戦ではバーミンガムが3-0で勝利した。1980年代中盤には両クラブは急速に衰退していった。1986年3月にヴィラ・パークで行われた試合ではバーミンガムが3-0で勝利したが、バーミンガムはシーズン終了後に降格し、ヴィラも翌シーズン終了後にライバルに続いて降格した。両者がセカンド・ディヴィジョン(2部)に在籍していた1987-88シーズン、ヴィラ・パークで行われた試合ではバーミンガムが2-1で勝利したが、セント・アンドルーズで行われた試合ではガリー・トンプソンの2得点でヴィラが2-1で勝利した。1988-89シーズンのフットボールリーグカップでは1980年代のカップ戦を通じて初めて両者が激突し、ヴィラが2試合合計7-0で圧勝した。
プレミアリーグ開始後

1992年にプレミアリーグが創設されたが、両者はリーグ戦で対戦する前に1993-94シーズンのフットボールリーグカップ2回戦で対戦した。セント・アンドルーズでのファーストレグではジョン・フレインのPKをマーク・ボスニッチ(Mark Bosnich)が止めて0-0の均衡が続いたが、ケヴィン・リチャードソン(Kevin Richardson)が決勝点を決めてヴィラが1-0で勝利した。ヴィラ・パークでのセカンドレグではヴィラのディーン・ソーンダースの決勝点とバーミンガムのポール・タイトの退場がハイライトとなった。2試合合計2-0で勝利したヴィラはその後も勝ち進み、決勝でマンチェスター・ユナイテッドFCを破って4度目の優勝を飾った。バーミンガムが2002年にプレミアリーグに昇格したため、2002-03シーズンには両サポーターが熱望していたリーグ戦でのダービーが15年ぶりに開催され、バーミンガムが2勝(3-0、2-0)した。2002年9月16日の対戦はバーミンガムが3-0で勝利したが、バーミンガムが得点する度にサポーターがグラウンドになだれ込み、3度も試合が中断した。サポーターの侵入を許したバーミンガムには2万5000ドルの制裁金が科せられ、治安紊乱罪で2人のサポーターに実刑判決が下された[13]。2003年3月にヴィラ・パークで行われた試合では、試合前に観客が暴動を起こすほどの熱気を持ち、ヴィラのディオン・ダブリン(バーミンガムのロビー・サヴェージに頭突きして退場)とジョーイ・グジョンション(マシュー・アップソンに無謀な両足タックルをかまして退場)の2選手が退場処分を受けたほか[2]、試合後にはスタジアム外のWitton Laneでもトラブルが発生し、両サポーターを隔てようとした警官に投石が行われた。また、このシーズンはホーム&アウェーどちらの試合でもヴィラのGKペテル・エンケルマンがミスを犯している[2]。2003-04シーズンのリーグ戦は2試合とも引き分けに終わった。2-2となった試合ではヴィラが2点のリードを築いていたが、ロスタイムのスターン・ジョンの得点などでバーミンガムが2-2の引き分けに持ち込んだ。どちらの試合も酒に酔ったサポーターの衝突を防ぐためにお昼時間にキックオフされ、盛り上がりには欠けたものの意図は達成された。2004-05シーズンはバーミンガムが勝利を取り戻した。2004年のクリスマス直前にヴィラ・パークで行われた試合は2-1でバーミンガムが勝利し、2005年3月に行われた試合では2-0でやはりバーミンガムが勝利した。直接的に敗北という結果につながったかどうか議論の残るところではあるが、どちらの試合でもヴィラのGKトーマス・セーレンセンがミスを犯している。2005-06シーズン最初の対戦ではケヴィン・フィリップスの得点でヴィラがバーミンガムを破った。2006年4月16日(イースター・サンデー)に行われた2度目の対戦ではミラン・バロシュの2得点とガリー・ケーヒルのバイシクルシュートでヴィラが3-1で勝利した。バーミンガムはシーズン終了後にフットボールリーグ・チャンピオンシップ(実質2部)降格となったが、1シーズンでプレミアリーグに復帰した。

2007年11月14日のセント・アンドルーズでの対戦はヴィラが2-1で勝利し、ダービーでの3連勝を決めた。かつてヴィラに所属した経験のあるリアム・リッジウェルがオウンゴールを喫してヴィラが1-0でリードし、ミカエル・フォルセルの得点でバーミンガムが追いついたが、ヴィラのガブリエル・アグボンラホールがヘディングで決勝点を決めた。試合後のグラウンド外では両クラブのサポーターが衝突し、20人以上の警官が負傷した[14][15]


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