バーブ_(潜水艦)
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USS バーブ

基本情報
建造所エレクトリック・ボート造船所
運用者 アメリカ海軍
艦種攻撃型潜水艦 (SS)
級名ガトー級潜水艦
艦歴
発注1940年7月1日[1]
起工1941年6月7日[2]
進水1942年4月2日[3]
就役.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

1: 1942年7月8日[3]

2: 1951年12月3日[4]

3: 1954年8月3日[4]

退役

1: 1947年2月12日[2]

2: 1954年2月5日[2]

3: 1954年12月13日[2]

除籍1972年10月15日
その後1954年12月13日にイタリア海軍へ貸与[4]
要目
水上排水量1,526 トン
水中排水量2,424 トン
全長311フィート9インチ (95.02 m)
水線長307フィート (93.6 m)
最大幅27フィート3インチ (8.31 m)
吃水17フィート (5.2 m)
主機ゼネラルモーターズ278A 16気筒ディーゼルエンジン×4基
電源ゼネラル・エレクトリック発電機×2基
出力5,400馬力 (4.0 MW)
電力2,740馬力 (2.0 MW)
最大速力水上:20.25ノット
水中:8.75ノット
航続距離11,000カイリ/10ノット時
潜航深度試験時:300フィート (91 m)
乗員士官、兵員70名(平時)
士官、兵員80 - 85名(戦時)
兵装

21インチ魚雷発射管×10基(前方6,後方4)/魚雷×24本


竣工時[5]
3インチ砲×1基7.62mm50口径機銃×2基7.62mm30口径機銃×2基
1944年2月1日[6]
4インチ砲(英語版)×1基20mm機銃×2基
1944年9月[7]
4インチ砲×1基40mm機関砲20mm機銃小口径機銃
1945年7月[8][9]
5インチ砲×1基40mm機関砲20mm連装機銃ロケットランチャー×1基

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バーブ (USS Barb, SS-220) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の9番艦。艦名はコイ科バーブス属(英語版)の小型魚の総称に因む。なお、退役から9年後にパーミット級原子力潜水艦4番艦として2代目「バーブ」が就役している。スマトラ(Tiger barb)チェリーバーブ(Cherry barb)
艦歴

バーブは1941年6月7日にコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工、1942年4月2日にチャールズ・A・ダン少将夫人によって進水し、艦長ジョン・R・ウォーターマン少佐(アナポリス1927年組)の指揮下1942年7月8日に就役した。バーブの任務は1942年10月20日から1945年8月2日までの期間に及び、その間にバーブは太平洋戦線で7回、大西洋戦線で5回の合わせて12回の哨戒を完了した。
大西洋での第1から第5の哨戒 1942年10月 - 1943年7月

10月20日[10]、バーブは最初の哨戒で北アフリカ沿岸部に向かった。バーブはこの哨戒で11月8日から実施された北アフリカ侵攻作戦支援の偵察を行った。11月25日、バーブは36日間の行動を終えてスコットランドのロスネース(英語版)に帰投した[11]

12月16日[12]、バーブは2回目の哨戒でスペイン沿岸部に向かった[13]。この哨戒では敵艦船の姿は見なかった[14]。1943年1月18日、バーブは31日間の行動を終えてロスネースに帰投した[14]

2月1日[15]、バーブは3回目の哨戒でスペイン沿岸部に向かった。ビーゴ近海で哨戒したが[16]、この哨戒でも敵艦船の姿は見なかった[17]。3月9日、バーブは37日間の行動を終えてロスネースに帰投した[18]

4月1日[19]、バーブは4回目の哨戒でノルウェーアイスランド間の北海[20]に向かった。しかし、この哨戒でも攻撃の機会はなかった[21]。5月14日、バーブは44日間の行動を終えてロスネースに帰投した[22]

6月8日[23]、バーブは5回目の哨戒で大西洋に向かった。哨戒期間中の7月1日に大西洋方面でのアメリカ潜水艦の作戦が終了[24]。7月24日、バーブは41日間の行動を終えてコネチカット州ニューロンドンに帰投[25]。翌7月25日から8月7日にかけて短期オーバーホールが行われた後[24]、バーブは真珠湾に回航された。
第6、第7の哨戒 1943年9月 - 1944年4月

9月30日[26]、バーブは6回目の哨戒で東シナ海に向かった。10月23日午後、バーブは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯25度35分 東経126度04分 / 北緯25.583度 東経126.067度 / 25.583; 126.067の那覇の255度78海里の地点付近で発見した輸送船団を追っていたところ、九七式重爆撃機と判断された航空機を発見したため潜航し、直後に爆撃を受けるが被害はなかった[27][28]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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