バーバリー
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バーバリー
Burberry Group plc
種類公開会社
市場情報LSE BRBY
略称BRBY
本社所在地 イギリス ロンドン
設立 イギリス ベイジングストーク(1856年
業種ファッション
事業内容衣類
アクセサリー
香水
代表者John Peace (Chairman)
マルコ・コベッティ (CEO)
売上高27億2000万ポンド(2019年3月期)
営業利益4億3700万ポンド(2019年3月期)
純利益3億3910万ポンド(2019年3月期)
外部リンク ⇒www.burberry.com
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バーバリー(Burberry Group plc)は、イギリスを代表するファッションブランドの一つ。日本法人は、バーバリー・ジャパン株式会社[1]
歴史
創業とギャバジンの発明トーマス・バーバリーステンカラーコート

1856年イギリス帝国ハンプシャー州ベイジングストークで、当時21歳だったトーマス・バーバリー[注釈 1]によって創立される。1870年、品質へのこだわりや生地の革新により大規模小売店へと発展。

1879年、農民が汚れを防ぐために服の上に羽織っていた上着をヒントにギャバジン(Gabardine, ギャバディン)といわれる耐久性・防水性に優れた新素材を発明した。1888年には特許を取得、1917年までその製造権を独占した。19世紀ロンドン・ヘイマーケットのThomas Burberry & Sons

1891年ロンドンヘイマーケット30番地にThomas Burberry & Sonsの本社兼店舗を置く。現在のヘイマーケット店

1912年、ヘイマーケット店が現在地に移転。
トレンチコートの製造

1895年ボーア戦争の際、トレンチコートの前身となるイギリス人士官用の「タイロッケンコート(ひもでロックするという意味のボタンのないコート)」を製造した。

1901年に最初のカタログを発行した際、公募により「名誉・高潔・勇気」を意味する甲冑の騎士 (Equestrian Knight) のマークをレーベルデザインとして使用開始。「Prorsum」(プローサム)の旗はラテン語で「前へ」を意味している。

1914年第一次世界大戦が勃発。軍部の要請により塹壕(トレンチ)での戦闘に合わせてタイロッケンコートに修正を加え、手榴弾や剣・水筒をぶら下げるD字型リングをコートに止め金として取り付けたトレンチコートを製造し英国陸海軍に正式採用された。大戦中に50万着以上着用され、終戦後には市民に広まった。

1926年王室近衛連隊の士官用グレートコート(大外套)を製作。
冒険家の愛用

バーバリーの発明したギャバジン製の製品は極地探検家の防寒着やテスト・パイロットの飛行用衣料として愛用された。

1910年ロンドンマンチェスター間の24時間以内飛行に初成功したイギリスのパイロット、クロード・グラハム=ホワイトが着用。

1911年南極点に到達したノルウェーの探検家ロアール・アムンセンと、同じく南極点を目指し遭難したイギリスの悲劇の探検家ロバート・スコットが奇しくもともに防寒具やテントとして使用[注釈 2]

1914年アーネスト・シャクルトン率いる帝国南極横断探検隊が遭難、全員が奇跡の生還を遂げた際に防寒着として着用されていた。

1919年ジョン・オルコックとアーサー・ブラウンがビッカース ビミーでカナダのニューファンドランド島のセントジョンからアイルランドのクリフデンまでの初の大西洋無着陸横断飛行に成功した際に操縦服として着用。

1924年エベレスト初登頂を目指したジョージ・マロリーが遭難した際にも、彼はバーバリー製のギャバジンのジャケットを着用していた。

1934年にロンドン-メルボルン間のマックロバートソン・エアレーストム・キャンベル・ブラックとC.W.A.スコットがバーバリー製の操縦服を着用して優勝。

1937年にバーバリーのスポンサーによりA.E.クラウストンとベスティ・カーディ・グリーンがロンドン-ケープタウン間最速飛行に成功。
ロイヤルワラント

1919年ジョージ5世よりコート・ジャケット部門のイギリス王室御用達(ロイヤルワラント)を授かる。

1955年エリザベス2世より、同部門のロイヤルワラントを授かる。

1989年チャールズ3世(当時皇太子)より、同部門のロイヤルワラントを授かる。
ファッションシーンでの展開

1924年、コートの裏地として使用されていたデザインを「バーバリー・チェック」として宣伝し、一大ブームを起こす。

1967年、パリのショーで発表された傘にバーバリー・チェックをコートの裏地以外で初めて使用。その後、バッグやマフラーなど様々なファッションアイテムに使用された。カラーバリエーションも最初のキャメル/赤/黒/白だけでなく、様々なカラーバリエーションを展開している。これらを「バーバリー・ロンドン」として長らく展開してきた。

1970年代以降、ブランドが市民の間でカジュアル化しサブカルチャーとの結び付きが増加、「プロールドリフト(プロレタリアン・ドリフトの略。高級商品やサービスの一般化を指し、ポール・ファッセルが著書『階級』で言及した)[2]」の一例として顧客層が大きく変化した。サッカーフーリガンや不良学生、韓国でバーバリーマンと呼ばれるコート男型露出狂など、低俗さと結び付けた連想をされる傾向が1990年代まで続いた。このような結果、ブランドイメージは大きく低迷した。

1989年、創業以来の独立企業からグレート・ユニバーサル・ストアズ (GUS) に買収される。

1991年、普段着の新ブランド「トーマス・バーバリー」を英国でスタートし、2002年まで展開していた。

1997年、アメリカの高級デパートサックス・フィフス・アベニューの社長だったローズマリー・ブラヴォーが社長兼CEOに就任。彼女は、バーバリーの伝統的なイメージにモード性とモダン性を埋め込こみ、それを全世界統一のビジュアルキャンペーンとコレクションで表現したいと考え改革に着手。

1999年、デザインを統括するクリエイティブ・ディレクターにジル・サンダーのアシスタントデザイナーのロベルト・メニケッティを迎え、コレクションラインの「バーバリー・プローサム コレクション」を発表。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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