バーバラ・ハットン
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バーバラ・ハットン(1931年

バーバラ・ハットン (Barbara Hutton,1912年11月14日 - 1979年5月11日)は、アメリカのミリオネア、ソーシャライト。大手スーパーマーケット・チェーン「ウールワース」創業者の孫。
目次

1 プア・リトル・リッチ・ガール

2 癒せない孤独と不幸

3 拒食症

4 夫たち

5 宝石

6 映画化

7 参考文献

8 脚注

9 外部リンク

プア・リトル・リッチ・ガール

ニューヨークで生まれた。父は株式仲買人のフランクリン・ハットン。母はエドナ・ウールワース。母方の祖父フランク・ウィンフィールド・ウールワースは、スーパーマーケットチェーン「ウールワース」の創設者だった。フランクリンとエドナの夫婦仲は決して良くなかった。エドナは大金持ちの娘でありながら内気で社交界が嫌いだった。イエール大学出のエリートであるフランクリンは、派手好きで女性関係が絶えない男だった。1917年、精神不安定だったエドナは、ニューヨークのプラザホテルの一室で睡眠薬を飲んで自殺。自分の体の回りにアイリスの花を飾って死んでいった。5歳になるバーバラが、母親の遺体の第一発見者だった。

フランク・ウールワースには三人の娘がいたが、孫はバーバラと、エドナの妹の息子ジミーだけだった[1]。エドナの死の二年後、フランクは67歳で死亡。その巨額の遺産の一部が孫娘のバーバラに残された。不動産・動産を含め、現在の貨幣価値で約5億6千万ドルという額にのぼる。7歳で世界で一番裕福な少女となったが、家庭の暖かさとは無縁に育つ。父フランクリンは、親としての愛情の薄い男だった。バーバラが成人するまでの彼女の財産の信託は彼にまかされ、彼の利殖・蓄財の才能で、次々と遺産の額を減らすどころか増やしていった。居場所のないバーバラは、親類の家や私立の寄宿学校を転々とした。どこに行っても、金のあることで敬遠された。心を許す友人もなかった。彼女に近づき、「財産目当て」と他人に揶揄されることを恐れる人、本当に彼女にたかるための人。バーバラの慰めは、母の愛したアイリスの花を飾り、自分のノートに詩を書きつづることだけだった。

21歳で社交界デビュー。父はそれを記念して、ニューヨークのリッツカールトンホテルで大規模なパーティーを開いた。四つのオーケストラ、200人のウェイターが動員された。1930年代の世界大恐慌のさなかであり、贅沢のかぎりをつくすパーティーをゴシップ紙は、「あのパーティー一つで飢えたアメリカ南部の農民を救える」と叩いた。父は彼女の花婿候補にと、アイビーリーグに通う名門の御曹司を大勢招待したが、いざダンスが始まると誰一人、パーティーの華であるバーバラを誘いに行こうとしなかった。彼女とダンスを踊ると、財産目当ての男に思われる、というのが皆の一致した意見だった。

後年、イギリスの劇作家・俳優のノエル・カワードは彼女を評して、「かわいそうな金持ちの小さな女の子」(Poor Little Rich girl)と呼び、同名の歌を作った。ありあまる金が、彼女の孤独を招いているのは明らかだった。パーティーに出席すると、「お金があると幸せも買えるんでしょ。」と女性たちに皮肉られた。会場から出て待たせていたリムジンに乗り込もうとすると、有名人見たさに集まる群衆から、腐ったトマトや卵を投げつけられた。一度、硫酸をかけられたこともあった。安売りデパートであるウールワースの従業員たちは安い給料で長時間労働を強いられていたため、創業者一族の娘であるバーバラの桁はずれな浪費に怒り狂っており、経営陣たちからも苦々しく思われていたのである[1]。彼女はこうした悪意から自分を守るために、ボディーガードを雇った。「私は世界で一番憎まれている女よ。」と自嘲的に語った。
癒せない孤独と不幸

バーバラが一時でも自分の不幸を忘れさせてくれるもの、それは男しかなかった。生涯に7回の結婚と離婚をしているが、その他にも男出入りが激しかった。彼女と結婚した社交界に生息する男たちは、彼女の金目当ての者が多かった。彼女の財産をあてにせず、きちんと仕事をもって働いていたのは三番目の夫で俳優のケーリー・グラントだけだった。

元夫は自称貴族の男が4人と噂されていたが、実際には身分を詐称していたのは最初の夫のみである。また名乗る肩書きがないためバーバラがヨーロッパの小国から爵位を買って与えた男という噂も流れたが、それはヨーロッパではなく東南アジアの小国である。元夫達の多くは欧米の社交界でも知られる貴族でスポーツマンのセレブであったが、彼女の財産目当てで贅沢三昧の暮らしを楽しみ、やがてはバーバラに愛想づかしされて、離婚する際には喜々として多額の慰謝料をせしめていった。これはドミニカ共和国の駐フランス特命全権大使であるが、プレイボーイとして著名であったポルフィリオ・ルビロサでさえ同様であった。


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