バーブラ・ストライサンド
Barbra Streisand
1965年撮影
本名Barbara Joan Streisand
生年月日 (1942-04-24) 1942年4月24日(82歳)
出生地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
国籍 アメリカ合衆国
職業歌手、女優、作曲家、映画プロデューサー、映画監督
活動期間1963年 -
配偶者エリオット・グールド
(m. 1963; div. 1971)
ジェームズ・ブローリン (m. 1998)
受賞
アカデミー賞
主演女優賞
1968年『ファニー・ガール』
歌曲賞
1976年『スター誕生』
AFI賞
生涯功労賞
2001年
エミー賞
娯楽部門個人業績賞
1965年『My Name is Barbra』
バラエティ/音楽プログラム部門個人業績賞
1995年『Barbra Streisand: The Concert』
2001年『Timeless: Live in Concert』
グラミー賞
最優秀アルバム賞
1964年『The Barbra Streisand Album』
最優秀楽曲賞
1978年「スター誕生の愛のテーマ」
最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞
1964年『The Barbra Streisand Album』
1965年『ピープル』
1966年『マイ・ネーム・イズ・バーブラ』
1978年「スター誕生の愛のテーマ」
1987年『追憶のブロードウェイ』
最優秀ポップ・パフォーマンス賞
1981年「ギルティ」
特別賞
1992年、1995年
ゴールデングローブ賞
監督賞
1983年『愛のイエントル』
女優賞(ミュージカル・コメディ部門)
1968年『ファニー・ガール』
1976年『スター誕生』
主題歌賞
1976年『スター誕生』
セシル・B・デミル賞
1999年
全米映画俳優組合賞
生涯功労賞
2023年
トニー賞
特別賞
1970年 「この10年間のスター」として
その他の賞
大統領自由勲章
2015年
備考
エミー賞、グラミー、アカデミー賞、トニー賞をすべて受賞した人物(EGOT)
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バーブラ・ストライサンド(Barbra Streisand、本名Barbara Joan Streisand, 1942年4月24日 - )は、アメリカ合衆国の歌手、女優、作曲家、映画プロデューサー、映画監督。
ニューヨークのブルックリンで育つ。1962年に歌手としてデビュー。代表曲は「ピープル」、「追憶」等。女優としても活躍し、自身の映画出演作の主題歌を歌ったり、楽曲の提供などもしている。
アカデミー賞は、『ファニー・ガール』で主演女優賞を、『スター誕生』で作曲家としてアカデミー歌曲賞と2度受賞している。また、複数のエミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、およびトニー賞を受賞している。
映画監督としては『愛のイエントル』でデビュー。主演・脚本・製作、そして主題歌と5役を務めた。『サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方』はアカデミー賞の作品賞で候補にあがったが、彼女は監督賞候補にならなかった。 米国ニューヨーク市のウィリアムズバーグでユダヤ系のロシア人の家族のもとに生まれ、バーバラ・ジョアン・ストライサンド(Barbara Joan Streisand)と名づけられた彼女は、生後まもなくしてブルックリンへと引っ越す。グラマースクールで文法学の教師をしていた父親のエマニュエルは、彼女が生後わずか15ヶ月のときに亡くなり[1]、継父のルイス・カインド(中古車セールスマン。1949年に母アイダと結婚)と彼女は不穏な関係であった(精神的な虐待)。母親のダイアナ・アイダ・ローゼンはバーブラが魅力的ではないと感じ、娘にショービジネスを勧めることはなかった。この事が、バーブラが長年、エンターテイメント界での数々の成功にもかかわらず自分の容姿にコンプレックスを持ち続けた理由ではないかとされている。 1959年、エラスムス・ホール高校を4番目の成績で卒業。高校ではニール・ダイアモンドと共に合唱部に所属していた。大学へは進学していない。 ストライサンドは、「育ったときはそこ(ブルックリン)は嫌いだったけれど、今はわたしのルーツから力をもらっていると感じる」と述べている(2006年10月17日のトロントコンサートで)。 10代の頃にナイトクラブで歌手としてデビュー。しかし本来は女優志望で、数々のオフ・オフ・ブロードウェイ演劇に出演していた。当時野心的だった女優ジョーン・リバーズと競演したこともある。ボーイフレンドだったバリー・デネン
来歴1973年
少女時代
初期のエンターテイメント活動
1962年にはミュージカル『あなたには卸値で』でブロードウェイに出演し、その後コロムビア・レコードと契約を結んだ。彼女のデビューアルバム『ザ・バーブラ・ストライサンド・アルバム』は1963年に2つのグラミー賞を受賞した。その後、彼女の人気は低迷することなく、デビュー作から3作目までが同時にビルボードのポップ・アルバム部門のトップテンに入った。当時はロックンロールやビートルズがヒットチャートの大半を占めていたことから、彼女の功績は異例の快挙だと見なされた。
ファニー・ブライスの生涯を題材にした、ジュール・スタインとボブ・メリルの音楽による1964年の『ファニー・ガール』は、『あなたには卸値で』におけるストライサンドのパフォーマンスを見たスタインが彼女のために制作したブロードウェイ・ミュージカルである。しかしショーのプロデューサー、レイ・スタークの妻だったブライスの娘は、ストライサンドをキャスティングするのを強く反対し、彼女よりキャロル・バーネットのほうを好んだという。
テレビ出演も多く果たしたストライサンドは、米国のCBSチャンネルで多くのスペシャル番組に出演。