バーバラ・ウォルターズ(英語: Barbara Walters[1]、1929年9月25日 - [2])は、米国のテレビジャーナリスト、作家、テレビ司会者。『トゥデイ』、『ザ・ビュー』の司会、『ABCイヴニング・ニュース』の共同アンカー、『ABCニュース』の記者を務めている。
1962年、ヒュー・ダウンズが司会をしていた『トゥデイ』に関わり始め、『women's interest stories 』のコーナーの作家およびプロデューサーをしていた時に、出演するはずであったモデルが現れなかったために水着で出演したことからテレビに出演するようになった。インタビュー能力と視聴者からの人気、および他の出演者の降板により出演回数が増えていった。この番組の記者であったが、1971年にダウンズが降板した際に後継者となったのはウォルターズではなくフランク・マギーであった。ウォルターズの給料はマギーの半分であったが[3]、1974年にマギーが亡くなった際、ウォルターズの家族の友人が務めるエージェントがウォルターズの契約に「共同司会者」という肩書きを追加したことにより[4]、テレビ史上初の女性司会者となった[5]。そしてジム・ハーツが彼女の共同司会者となった。2年後、『ABCニュース』の一部である『ABCイヴニング・ニュース』でハリー・リーゾナーと共にアンカーを務め、史上初の女性アンカーとなった。
1979年から2004年、ABCの『20/20 』の共同司会者およびプロデューサーとして、再びダウンズと共演した。年に数回の自身のインタビュー特別番組のプロデュースおよび司会の他、1976年から2010年、『ABCニュース』のアンカー、リポーター、特派員を務めた。1997年より、『ザ・ビュー』の司会および製作を務めている。2014年5月、『ABCニュース』および『ザ・ビュー』の司会から降板することを発表した[6]。
1996年、『TVガイド』誌の選ぶ『50 Greatest TV Stars of All Time 』の第34位に選ばれた[7]。 1929年、ボストンでディナ(旧姓セレスキー)とルイスルーウォルターズ(出生名ルイス・エイブラハムズ)のもとに生まれた[8][9]。両親共ユダヤ人で[10]、祖先は現在の東ヨーロッパであるロシア帝国からの亡命者であった[11]。ウォルターズの父方の祖父アイザック・エイブラハムズはポーランドのウッチで生まれ、イングランドに移住し、エイブラハム・ウォルターズに改名した(当初の姓はWarmwasser であった)[12]。ウォルターズの父ルーは1896年頃にロンドンで生まれ、1909年8月28日、父と兄弟2人と共にニューヨークへ移住し、その後1910年母と姉妹4人も移住した[13]。1949年、父はニューヨークにナイトクラブLatin Quarter
目次
1 生い立ち
2 経歴
2.1 『ザ・トゥデイ・ショー』
2.2 『ABCイヴニング・ニュース』および『20/20』
2.2.1 インタビュー
2.3 『ザ・ビュー』
2.4 降板
3 私生活
3.1 健康面
4 功績等
4.1 受賞歴等
5 書籍
6 参照項目
7 脚注
8 参考文献
9 外部リンク
生い立ち