バーナード・L・マドフ
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バーナード・L・マドフ
Bernard Lawrence Madoff
生誕 (1938-04-29) 1938年4月29日
アメリカ合衆国 ニューヨーク州クイーンズ
死没 (2021-04-14) 2021年4月14日(82歳没)
アメリカ合衆国 ノースカロライナ州バトナー(英語版)
職業NASDAQ元会長、
バーナード・L・マドフ・インヴェストメント・セキュリティーズLLC会長
配偶者あり
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バーナード・ローレンス・マドフ/バーニー・マドフ(Bernard Lawrence Madoff/Bernie Madoff 1938年4月29日 - 2021年4月14日)は、アメリカ合衆国の相場師、投資顧問、金融業者、そして大規模なポンジ・スキームに関連した犯罪で有罪判決を受けて連邦刑務所に服役した詐欺師である[1]。一時はNASDAQ株式市場の非常勤会長を務めていた[2]が、その後、世界史上最大のポンジ・スキームと米国史上最大の金融詐欺の運営者であることが明らかになり、後に告白した[3]。検察は、2008年11月30日時点でマドフの4,800人の顧客の口座にあった金額を基に、この詐欺は648億ドルの価値があると推定している[4]。「Bernard Madoff(英語版)」および「Madoff investment scandal(英語版)」も参照

マドフは1960年にペニー証券会社を設立し、それがやがてバーナード・L・マドフ・インベストメント・セキュリティーズ(Bernard L. Madoff Investment Securities)に発展した[5] [6]。2008年12月11日に逮捕されるまで、同社の会長を務めた[7]。同社は、リテールブローカーからの店頭での注文を直接執行することで、「専門業者」を回避する、ウォール街でもトップレベルのマーケットメーカー事業を展開していた[8]

同社では、兄のピーター・マドフを専務取締役兼最高コンプライアンス責任者として、ピーターの娘のシャナ・マドフを同社の規則・コンプライアンス責任者兼弁護士として、そして今は亡き息子のマークとアンドリューを雇用していた。ピーターは懲役10年の判決を受け[9]、マークは父の逮捕からちょうど2年後に首吊り自殺で亡くなった[10] [11] [12]。アンドリューは2014年9月3日にリンパ腫で亡くなった[13]

2008年12月10日、マドフの息子たちは当局に対し、父が自分の会社の資産運用部門が大規模なポンジ・スキームだったことを告白し、「一つの大きな嘘」だったと語ったことを引用した[14] [15] [16]。翌日、FBI捜査官はマドフを逮捕し、証券詐欺の1件の罪で起訴した。米国証券取引委員会(SEC)は、それまでにも彼のビジネス手法について複数の調査を行っていたが、大規模な詐欺行為は発覚していなかった[17]。2009年3月12日、マドフは11の連邦重罪を認め、自身の資産管理事業を大規模なポンジ・スキームに仕立て上げたことを認めた。マドフの投資スキャンダルは、何千人もの投資家から数十億ドルを詐取した。マドフは、1990年代初頭にねずみ講を始めたと述べているが、連邦捜査当局は、詐欺行為は早くて1980年代半ば[18]、遡って1970年代には始まっていたのではないかと考えている[19]。消失した資金の回収を担当している者は、この投資事業は決して合法的なものではなかったかもしれないと考えている[20] [21]。顧客の口座から消えた金額は、捏造された利益を含めて650億ドル近くに上った[22]。証券投資家保護機構(SIPC)の管財人は、投資家の実際の損失額を180億ドルと見積もっている[23]。2009年6月29日、マドフは最高刑である150年の禁固刑を宣告された。マドフは刑期中の2021年4月に死亡した[24] [25] [26]
来歴
生い立ち

ニューヨークのクイーンズユダヤ系アメリカ人の家庭で生まれ育った。祖父母の代に東欧から移民した一家で、父親は配管工と株仲買人をしていた。高校卒業後、アラバマ大学を経てホフストラ大学に入学し、政治学を学んだ。同じ高校に通う3歳下のユダヤ系の妻と知り合い、ともに大学生のときに学生結婚した。
犯行

1960年、大学を卒業したマドフはバーナード・マドフ証券投資会社を設立した[27]

その後、数十年間もの間、マドフは資金運用能力を持っていると投資家らから信じられ、称賛されてきた。2001年まで、マドフの投資運用会社はナスダック・ストック・マーケットの3大立役者として見なされていた。ニューヨークに住む多くの富豪・金持たちはマドフは信頼できる投資家なのだ、と見なしてきた[27]

ただ、マドフがあまりに夢のような高利回りを謳うので、果たしてそのような高利回りが現実的なものなのかかどうか、疑念を抱く投資家も存在していた[27]。マドフの会社に関してまともな大手監査法人が監査を行っていないことについて、一部の投資家は疑問を抱いた[27]。中には厳しく査定を行った結果、マドフの投資会社には透明性が無い、と判断し投資は見送った人もいる[28]

マドフによる巨大な詐欺が発覚したきっかけは、サブプライムローン危機を受けた株価の下落を受けて、複数の投資家から計約70億ドル(約6300億円)の償還(払い戻し)を求められたことだった。マドフは投資家らに償還するための現金の確保ができず、とうとう不正を取り繕い隠しつづけることができなくなった[29]
逮捕

2008年12月11日に、詐欺の罪でFBIによって逮捕された。証券取引委員会は、マドフの会社の資産を凍結し、その調査に着手した。
調査で明らかになった被害

証券取引委員会による調査の結果、マドフが自ら運営する投資ファンドについて、「(運用によって)10%を上回る高利回り」などと虚偽の内容をうたい、投資家たちから多額の資金を集めたという事実が明らかになった。また、マドフは集めた資金を金融市場などで運用することをせず、既存の顧客たちへ支払わなければならない配当自転車操業的に回し、それによって巨額の損失を隠していた[29]。つまり、マドフはポンジ・スキームと呼ばれる古典的な金融犯罪を行っていたのである。欧米のメディアや書籍ではマドフの犯罪は一般的にポンジ・スキームと表現されている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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