バーナード・バトラー
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バーナード・バトラー

基本情報
生誕 (1970-05-01) 1970年5月1日(54歳)
イングランドロンドン
ジャンルロックポップス
職業ギタリスト
音楽プロデューサー
担当楽器ギターピアノ
活動期間1989年 -
レーベルクリエイション
共同作業者スウェード
マッカルモント&バトラー
ザ・ティアーズ
公式サイト ⇒www.bernardbutler.com
著名使用楽器
ES-355TDSV,ES-345TDSV,ES-330

バーナード・バトラー(Bernard Butler、1970年5月1日 - )は、イギリスロンドン出身のギタリスト音楽プロデューサー。2008年、プロデュース業に専念することを表明。翌年、ブリット・アウォーズにてプロデューサー・オブ・ザ・イヤーを受賞。日本国内では岩瀬敬吾(元19)の楽曲をプロデュースしている。
来歴

1992年スウェードのギタリストとしてデビュー。ブレット・アンダーソンと共に曲を作り、瞬く間にイギリスポップシーンでの成功を掴む。彼は全ての楽曲で作曲を担当し、ギターを弾いた。デビューアルバム『スウェード』はマーキュリー・ミュージック・プライズを受賞した。しかし他メンバーやプロデューサーとの確執により2ndアルバム『ドッグ・マン・スター』完成直前の1994年に脱退してしまう。

1994年、バトラーはデヴィッド・マッカルモントマッカルモント&バトラーを結成。『イエス』、『ユー・ドゥ』の2枚のシングル盤をリリース。解散後にはこれらの編集盤『サウンド・オブ・マッカルモント&バトラー』がリリースされた。その後、クリエイション・レコーズから『ピープル・ムーブ・オン』、『フレンズ・アンド・ラヴァーズ』と2枚のソロアルバムをリリース。『ステイ』などのヒット・シングルが生まれた。2001年にはデビッド・マッカルモントと和解し、再びマッカルモント&バトラーとしてアルバム『ブリング・イット・バック』をリリースし、『フォーリング』、『ブリング・イット・バック』の2枚のシングルをカット、UKツアーを行った。

2002年、リバティーンズの両A面シングル「ホワット・ア・ウェイスター/アイ・ゲット・ アロング」をプロデュースする。

2004年にはブレット・アンダーソンと和解。新バンド、ザ・ティアーズを結成し、2005年にバトラー自身のプロデュースによるアルバム『ヒア・カムス・ザ・ティアーズ』をリリースした。全英シングルチャート9位を記録した『リフュジーズ』、『ラヴァーズ』のシングル曲が収録されている。

2005年、バトラーはウェールズ人女性歌手ダフィーを紹介され、2008年に彼女のデビュー・アルバム『ロックフェリー』でタイトル曲を含む4曲を共作、プロデュースした。アルバムセールスは500万枚を数え、グラミー賞では3部門でノミネートされた。同年、表舞台から身を引き、プロデューサー業に専念することを表明した[1]

そして2009年、プロデューサーとしての成功により、ブリット・アウォーズ、プロデューサー・オブ・ザ・イヤーを受賞した[2]

愛用しているチェリーレッドのギブソン・ES-355TDSVジョニー・マーへの憧れから使い始めたもので、アームプレイを多用したスタイルと共に彼の代名詞となっている[3]
ディスコグラフィ

発売年タイトル名義備考
1993年スウェード Suede
スウェードマーキュリー・ミュージック・プライズ受賞
1994年ドッグ・マン・スター Dog Man Starスウェード
1995年サウンド・オブ・マッカルモント&バトラー The Sound of McAlmont & Butlerマッカルモント&バトラー
1997年サイ・ファイ・ララバイズ Sci-Fi LullabiesスウェードB面コレクション
1998年ピープル・ムーブ・オン People Move Onバーナード・バトラー
1999年フレンズ・アンド・ラヴァーズ Friends and Loversバーナード・バトラー
2001年Message for JojoEdwyn&Bernardエドウィン・コリンズとの共同名義
2002年ブリング・イット・バック Bring It Backマッカルモント&バトラー
2005年ヒア・カムス・ザ・ティアーズ Here Comes the Tearsザ・ティアーズ

主な関連作品

発売年タイトル名義備考
1995年I'm with Stupid
エイミー・マン作中"sugarcoated"を共作
1995年I Hear a New Worldエドウィン・コリンズ作中3曲のプロデュース、ギターを担当
1998年Velvet Goldmine Original Soundtrackベルベット・ゴールドマインThe Venus in Furs名義の5曲でリード・ギターを担当
2000年Crimson Moonバート・ヤンシュ作中4曲にギターで参加
2002年What a Wasterザ・リバティーンズプロデューサー
2002年Edge of a Dreamバート・ヤンシュ作中3曲にギターで参加、うち1曲でキーボードも兼任
2003年Don't Look Back into the Sunザ・リバティーンズプロデューサー
2003年Shoot from the Hipソフィー・エリス・ベクスター作中"I am Not Good at Not Getting What I Want"を共作
2005年You're Gonna Lose Usザ・クリブスプロデューサー
2008年Cajun Dance Partyケイジャン・ダンス・パーティプロデューサー
2008年Rockferryダフィー作中4曲の作曲、プロデューサー
2008年Partie TraumaticBlack Kidsプロデューサー
2008年Knowle West Boyトリッキー作中10曲を共同プロデュース、9曲を共作
2010年My Best Friend Is YouKate Nashプロデューサー

脚注^Bernard Butler retires from performing、musicradar.com、2008年3月23日
^ イーノ、バトラーらUKプロデューサー・アワーズを受賞、BARKS、2009年2月16日
^"Return of the axe".、ガーディアン、2006年8月25日

外部リンク

公式サイト

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