バーナード・ハーマン
[Wikipedia|▼Menu]
バーナード・ハーマン.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}関連ポータルのリンク

ウィキポータル 映画

ウィキポータル クラシック音楽

バーナード・ハーマン(Bernard Herrmann, 1911年6月29日 - 1975年12月24日)は、主に映画音楽で活躍したアメリカ作曲家である。アルフレッド・ヒッチコック監督作品(『めまい』、『北北西に進路を取れ』など)や『市民ケーン』、『ケープ・フィアー』、『タクシードライバー』(遺作となった)など多くの映画作品に音楽を提供した。
経歴

出生名マックス・ハーマン(Max Herman)としてニューヨークロシア出身のユダヤ移民1世の家庭に生まれる[1]。父の旧姓はダルディック(DardickもしくはDardik)であったが、米国に移民する際に母方の旧姓であるフィンケルパール(Finkelpearl)に改め、次いで母のいとこのファーストネームにちなんでハーマン(Herman)と改め、さらにドイツ語風にHerrmannと綴りを改めた[1]

幼時からヴァイオリンの英才教育を受けた。

ジュリアード音楽院卒業後、指揮者として自作を含めて多くの録音を制作し、純音楽分野における自作もステレオ録音で残した。交響曲クラリネット五重奏曲オペラ嵐が丘』、カンタータなどを残した。ヒッチコックの『知りすぎていた男』にも指揮者として登場している。イギリス、アメリカの20世紀音楽に造詣が深く、チャールズ・アイヴズを擁護する一方、ウィリアム・ウォルトン新ロマン主義的な作風に傾倒した。ハーマンによると映画音楽は商業音楽というより機会音楽の一種であり、ハイドンモーツァルトがダンス音楽を作曲したように、自分は映画音楽を作曲するということだった。

1941年の『悪魔の金』で、アカデミー作曲賞を受賞した。

ヒッチコック映画に数々の曲を提供したが、1966年『引き裂かれたカーテン』のために作曲した音楽の出来映えを巡ってヒッチコックと対立し、以後永久に袂を分かった。

ハーマンは熱烈なイギリスびいきとして知られ、晩年をイギリスで過ごした。

ヒッチコックと決別して以降、映画音楽で傑作を生み出せずにいたが、『タクシー・ドライバー』でのジャズの要素を取り入れたスコアが絶賛され、ブライアン・デ・パルマ監督の『愛のメモリー』と共にアカデミー作曲賞に30年ぶりにノミネートされた。

『タクシードライバー』の最後のレコーディング・セッションが終了して12時間後、息を引き取った。

同時代および後世の映画音楽に与えた影響は計り知れない。ダニー・エルフマンは、最も感化された映画音楽家としてハーマンの名を挙げている。後述のように、1998年のリメイク版『サイコ』では、ハーマンのスコアをほとんどアレンジせずに再構成している。

他の作曲家の作品にも独自の見解を持っていて、友人のエルマー・バーンスタインが『オリエント急行殺人事件』の中で列車が発進する時に流れる軽いワルツを気に入り、ハーマンの前で弾いてみせたところ、ハーマンは「死を運ぶ列車なのにワルツなんて!」と憤慨したという。
レガシー

ハーマンが亡くなった後も音楽は使用され続けている。

1977年、プログレッシブ・ロックユートピアはアルバム『Ra』において、映画『地底探検』(1959年)で使用された楽曲「Mountain Top/Sunrise」をロックのアレンジでアルバム1曲目「Communion With The Sun」として収録した。

1991年、ハーマン作曲の映画『恐怖の岬』(1962年)がマーティン・スコセッシ監督により『ケープ・フィアー』としてリメイクされた。エルマー・バーンスタインは『恐怖の岬』のハーマンの楽曲、およびハーマンが映画『引き裂かれたカーテン』(1966年)のために作曲したがアルフレッド・ヒッチコック監督により却下された楽曲を基にアレンジして使用した[2]

1993年、アームステッド・モーピンの小説を基にして始まったミニシリーズ『Tales Of The City』のオープニングで映画『めまい』(1958年)のオープニングの楽曲が再現された。

1998年、ガス・ヴァン・サント監督のリメイク版『サイコ』のために、作曲家のダニー・エルフマンと編曲家のスティーヴ・バーテックは『サイコ』(1960年)で使用された全楽曲を再現した[3]

2003年、クエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル Vol.1』で殺し屋のエル・ドライバー(ダリル・ハンナ)が病院の廊下でハーマンが作曲した映画『密室の恐怖実験』(1968年)の「Georgie's Theme」を口笛で吹く。

2011年、『めまい』のハーマン作曲のテーマ曲がレディー・ガガの「ボーン・ディス・ウェイ」のミュージック・ビデオの導入部で使用された。

2011年、FXの『アメリカン・ホラー・ストーリー』のパイロット版のフラッシュバックのシーンで『めまい』(のテーマ曲が使用された。のちのエピソードではテイト(エヴァン・ピーターズ)の登場シーンで映画『密室の恐怖実験』(1968年)の「Georgie's Theme」が度々使用された。

2011年、映画『アーティスト』において作曲家ルドヴィック・ブールスは『めまい』の愛のテーマを最後のシーンで使用した。

2018年、Amazonプライムの『ホームカミング』において、第1話「規則」に『めまい』、第4話「セコイア」に映画『地球の静止する日』(1951年)のハーマンの楽曲が使用された[4]
主な映画作品

市民ケーン - Citizen Kane (1941)

悪魔の金 - All That Money Can Buy (1941)

ジェーン・エア - Jane Eyre (1944)

地球の静止する日 - The Day the Earth Stood Still (1951)

五本の指 - 5 Fingers (1952)

キリマンジャロの雪 - The Snows of Kilimanjaro (1952)

エジプト人 - The Egyptian (1954)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:61 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef