「バーデン福音ルター派教会」とは異なります。
バーデン福音主義州教会地図
基礎データ
面積:ca. 15.000 km2
指導教職者:州教会監督
ハイケ・スプリングハルト
加盟教会組織:EKD
UEK
教会管区:2
教会地区:24
教会共同体:約495
教会員数:1.083.393 (2020年12月31日現在)[1]
全住民における教会員比率:23,3 % (2020年12月31日現在)[1]
24,0 % (2019年12月31日現在)[2]
公式ウェブサイト: ⇒www.ekiba.de/
カールスルーエにある州教会
本部棟
バーデン福音主義州教会(バーデンふくいんしゅぎしゅうきょうかい、ドイツ語: Evangelische Landeskirche in Baden)は、ドイツ福音主義教会 (EKD)加盟する20の福音主義州教会の一つ であり、ライン地域教会会議
にも加盟している. 他の全ての州教会と同様に公法人上の社団である。州教会の本部はカールスルーエにある。特に、この教会はフランケン地方南部にあるヴュルテンベルク地域の住民であるフランケン人(南フランケン人)もあわせて、バーデン地方のアレマン系の住民などに信仰者が多い。 この州教会は495の教会共同体、および1.189.942人の教会員を有し( 2015年12月現在)、ドイツ福音主義教会(EKD)に属する福音主義合同教会に加盟している合同教会の一つである。 バーデン福音主義州教会の首座教会はカールスルーエにあるカールスルーエ・シュタット教会
概要
バーデン福音主義州教会はバーデン福音ルター派教会とは別組織である。バーデン福音ルター派教会はフライブルク・イム・ブライスガウに本部を置く古ルター派教会であり、自由教会でもある。 バーデン福音主義州教会の管轄地域はかつてのバーデン大公国の西部地域を含んでおり、1945年から1952年までバーデン州であったところである。バーデン州 はヴュルテンベルク=バーデン州
州教会の管轄地域
この州教会は設立後、隣接するヴュルテンベルク福音主義州教会と若干の境界変更をおこなっている。1973年1月1日の教会管区再編以降、教会管轄地域においてカールスルーエ教会管区とフライブルク教会管区が合同することはなくなった。 1556年にバーデン=ドゥルラハ辺境伯は自分の辺境伯領にマルティン・ルターの考えによる 宗教改革を導入した。後世、 バーデン=ドゥルラハ辺境伯 領はバーデン大公国になり、大公は領邦教会の首長(summus episcopus)として世俗と教会権力を統合した。そのため、宗教改革導入以前に力を持っていたローマ・カトリック教会の司教は全ての権限を失った。 隣接していたバーデン=バーデン辺境伯領が同様に宗教改革を導入されたが、辺境伯領でアルブレヒト5世が力を持つと、1571年以降は福音主義の礼拝が禁止されてしまった。1610年には再度、福音主義の説教が一部許容されたが、バーデン=バーデン辺境伯ヴィルヘルムは対抗宗教改革の担い手のイエズス会を保護し続けた。その結果、福音主義信徒は居住することが禁止され、1650年にバーデン=バーデン辺境伯領から姿を消した。福音主義信徒がバーデン=バーデンで住めるようになったのは1832年であった。 1771年にバーデン=ドゥルラハ辺境伯カール・フリードリヒによってバーデン=ドゥルラハ辺境伯領とバーデン=バーデン辺境伯領は統合された後、バーデン大公国に発展していた。 バーデン福音州教会の管轄地域はバーデン大公国の領域が基になっている。 カール・フリードリヒ (バーデン大公) はナポレオン戦争最中の1803年に選帝侯となり、1806年に神聖ローマ帝国が解体するとバーデン大公国 大公となった。
歴史