バーディバーディ
欧字表記Birdie Birdie
品種サラブレッド
性別牡
毛色黒鹿毛
生誕2007年2月20日(17歳)
登録日2009年9月24日
抹消日2014年4月27日
父ブライアンズタイム
母ホームスイートホーム
母の父シーキングザゴールド
生国 日本(北海道新ひだか町)
生産者千代田牧場
馬主里見美惠子
調教師池江泰郎(栗東)→池江泰寿(栗東)
競走成績
生涯成績35戦6勝
獲得賞金2億4991万9000円
勝ち鞍
JpnII兵庫CS2010年
GIIIユニコーンS2010年
テンプレートを表示
バーディバーディは、日本の競走馬。勝ち鞍に2010年ユニコーンステークスなどダート重賞2勝。馬名の由来はゴルフ用語の「バーディー」から。 当歳馬セレクトセール2007に上場、津村靖志の名義により6600万円で落札される。 2010年1月に池江泰郎厩舎JRA通算800勝目を同馬でマークした他、3歳2月までに3勝を記録。時期や輸送面等を考慮され辞退となったがUAEダービーへの招待を受ける[1]などダート戦では早くにその実力を発揮した。 バーディバーディは池江から「もともと芝で期待していた馬」と評され[2]、ここまでの勝ち鞍は全てダートながら春先はクラシックローテーションを組まれる。しかしメディア等では「トライアルでも完敗し芝適性は疑問[3]」と報じられ結果もまたその通りに終わる。なお東京優駿にも登録がなされたが芝適性を考慮し出走は見送り、ユニコーンステークスへ向かった。 ユニコーンステークスでは好位の4番手を追走し、直線に入りバトードールとの叩き合いになったが、残り200mでバトードールを一気に突き放し、2馬身半差をつけて快勝した。本番のジャパンダートダービーでは2番手追走も直線で伸びを欠き6着に終わった。秋はマイルチャンピオンシップ南部杯から始動、道中好位を追走するも直線で伸びあぐねて5着に終わった。続く武蔵野ステークスでは中団追走も直線で伸びを欠き6着、ジャパンカップダートでは逃げるトランセンドをマークしながらレースしたが、直線で伸びあぐねて4着だった。東京大賞典ではスマートファルコンの3着に入った。 2011年はフェブラリーステークスから始動、中団から渋太く脚を伸ばしたがトランセンドの3着。その後2月末で池江泰郎厩舎が定年解散となるため、息子の池江泰寿厩舎に転厩。アンタレスステークスでは中団から追い上げるがゴルトブリッツの3着。続く東海ステークスでは好位を追走したが直線で伸びあぐねて6着、オアシスステークスでは後方から渋太く脚を伸ばすも3着だった。帝王賞では4番手のインに位置したがスマートファルコンの3着。秋初戦のエルムステークスでは好位4番手からの競馬となったが3コーナー過ぎで手応えが怪しくなり11着に終わった。マイルチャンピオンシップ南部杯では3番手に控えたが直線で伸びず7着。霜月ステークスでは後方から追い上げて3着となる。ジャパンカップダートでは中団追走も直線では全く伸びず10着に終わった。 2012年はマーチステークスから始動、好位追走から直線で逃げるトーセンアドミラルに襲いかかるが残り200mでサイレントメロディとメイショウタメトモにかわされ3着となる。オアシスステークスでは中団の内を追走したが、直線で伸びあぐねて5着だった。東海ステークスでは2・3番手追走も直線で伸びを欠き9着に終わった。アハルテケステークスでは押し出されるように逃げるとナムラタイタンに1馬身1/4差をつけレコード勝ちした[4]。その後は2013年のマーチステークスで勝った馬からハナ差の2着という競馬はあったものの勝利は挙げられず、2014年4月27日付けで競走馬登録を抹消された[5]。 引退後は故郷の千代田牧場で種牡馬となる予定と発表されたが[6]、のちにレックススタッドへ移動した[7]。
経歴
デビュー前
3歳時(2010年)
4歳時(2011年)
5歳時以降(2012年-2014年)
引退後
Size:25 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef