バージニア工科大学銃乱射事件
Virginia Tech massacre
バージニア工科大学の衛星写真。赤が事件現場
場所 アメリカ合衆国・バージニア州ブラックスバーグ
バージニア工科大学
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度13分46秒 西経80度25分23秒 / 北緯37.22944度 西経80.42306度 / 37.22944; -80.42306
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バージニア工科大学銃乱射事件(バージニアこうかだいがくじゅうらんしゃじけん)は、アメリカ合衆国バージニア州ブラックスバーグのバージニア工科大学で2007年4月16日(東部標準時)に発生した銃乱射事件。
アメリカ国内で起きた銃乱射事件としては当時史上最多であった33人(教員5人、容疑者1人を含む学生28人)が死亡。これは今現在でも、史上3番目の犠牲者数である[注 1]。また、アメリカの学校での銃乱射事件としては、今現在でも史上最悪の犠牲者数となった[注 2]。
同大は翌17日記者会見し、容疑者が同大4年に在籍していた当時23歳の在米韓国人で韓国籍の男子学生、チョ・スンヒであったと発表した。
事件の経過
4月16日 月曜日
7時15分 - 最初に学生寮で2人の男女の学生が射殺される。
8時ごろ - 授業開始。学生寮で死亡している学生が発見される。
9時1分 - 容疑者は郵便局からNBC宛にビデオと写真の入ったCD-Rを発送。
9時26分 - 学校を休校にするというメールを生徒らに一斉送信。
9時20分?30分 - 容疑者が学生寮から800メートル離れた講義棟の教室に乗り込み、まずは教授を射殺。次に教室の鍵を閉めて学生を外に出さないようにした上で銃を乱射。
9時45分 - 警察官が到着し容疑者がいる部屋に踏み込むと、既に容疑者と思われる男はその場で自殺していた。
9時55分 - 校内で銃乱射事件が発生していることをメールで生徒らに一斉送信。
4月17日 火曜日
午前 - バージニア工科大学と警察の記者会見により、容疑者は韓国出身で同大学英文学科在学中の4年生23歳である、と報道された[1][2]。
午後 - バージニア工科大学の体育館で追悼集会が行われ、ブッシュ大統領夫妻、ティム・ケインバージニア州知事らも参列した。
4月18日 水曜日
NBCテレビ宛に容疑者からビデオと写真などが同封された手紙が届く。NBCテレビは内容の一部をニュース番組内で公開した上で、届いた手紙をFBIに提出した[3]。
事件後バージニア工科大学での2007年のカレッジフットボール開幕戦。犠牲者を追悼する32個の風船が空に放たれた。
この乱射事件により、教員や学生32人が射殺され、23人が負傷、殺害された者の中には、航空力学の世界的権威で第二次世界大戦のホロコーストを生き延びたリビウ・リブレスク教授もいた。
現場に居合わせた学生の中には、死んだふりをしたために九死に一生を得た者や、部屋にバリケードを築いて容疑者が部屋に入れないようにして難を逃れた者らがいる。アメリカで起きた乱射事件の中でも、これまで最悪の死者を出したルビーズ銃乱射事件(1991年、23人死亡)、サン・イシドロ・マクドナルド銃乱射事件(1984年、21人死亡)、テキサスタワー乱射事件(1966年、16人死亡)やコロンバイン高校銃乱射事件(1999年、15人死亡)などを上回り、2016年オーランド銃乱射事件(2016年、50人死亡)が発生するまでの間、史上最悪の銃乱射事件となっていた。
ブッシュ大統領が緊急声明を出し、翌日には現場を訪れた。また、来日していたバージニア州のティム・ケイン知事は日本から非常事態宣言を発令し記者会見を行った後に、緊急帰国した[4]。日本の塩崎恭久官房長官や、イギリスのエリザベス2世女王など、アメリカには世界中から追悼の意が寄せられた。
事件翌日になり容疑者の身元が判明するが、身元判明前には容疑者は単独犯でアジア系の若い男性である、と報道された。CNNテレビなどは、2箇所での乱射はそれぞれ別の者が起こした犯行である可能性にも言及していた。また、事件当日には容疑者が日本人か、或いは中国人ではないか、との報道があり中国政府は同日に北京の外務省で記者会見を開き、情報確認中であると述べた。4月17日に容疑者が韓国出身であると判明し、韓国の盧武鉉大統領や潘基文国連事務総長が記者会見で事件のことに触れ、哀悼の意を述べた。
同大学では、2007年4月に入って、工学部の建物に爆弾を仕掛けたとの脅迫電話により学生が避難する騒ぎが2件起きており、当初はこの事件との関連が疑われた。これ以外に、2006年8月には、治療のために刑務所からブラックスバーグの病院に移送された受刑者が、病院の警備員を銃で殺害して逃走したため、同大学の秋学期の初日の授業がキャンセルされるという事件があった[5][6]。
容疑者詳細は「チョ・スンヒ」を参照
容疑者のチョ・スンヒは、バージニア工科大学4年に在籍していた当時23歳の男子学生であった。1992年、8歳の時に一家で韓国ソウルからアメリカに移住した在米韓国人で、韓国国籍だがアメリカ永住権(グリーンカード)を所有していた。