バージニアン鉄道
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バージニアン鉄道
(Virginian Railway)

報告記号VGN
路線範囲ウェストバージニア州ディープウォーター (Deep Water) - バージニア州ノーフォーク
運行1907年–1959年
後継ノーフォーク・アンド・ウェスタン鉄道
軌間1,435 mm標準軌
本社バージニア州ノーフォーク
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バージニアン鉄道(バージニアンてつどう、Virginian Railway、報告記号はVGN)、あるいはバージニア鉄道はアメリカ合衆国バージニア州およびウェストバージニア州でかつて営業していた一級鉄道である。ウェストバージニア州南部の高品質な歴青炭ハンプトン・ローズの港へ輸送するために設立された。

20世紀初期に、土木技術者で炭鉱の経営者でもあったウィリアム・ネルソン・ページ (William Nelson Page) が、その当時スタンダード・オイルの重役で、世界有数の裕福な人間であった産業投資家のヘンリー・H・ロジャーズの支援を受けて、ウェストバージニア州南部の険しい地域に未開発の石炭を輸送するための85 マイルほどのショート・ラインであるディープウォーター鉄道 (Deepwater Railway) を建設しようとした。大鉄道会社は談合を行い、ディープウォーター鉄道からの石炭を妥当な運賃で輸送することを拒否して、ページの試みを阻もうとしたが、ページは大鉄道会社の思惑通りには諦めなかった。彼は当初の計画通りの建設を続けるとともに、ロジャーズの資金と代理人を使って密かに他のバージニア州の鉄道会社であるタイドウォーター鉄道 (Tidewater Railway) と合併した。このようにして、ページはバージニア州を横断して、新しい石炭桟橋が建設されていたスーウェルズ・ポイント (Sewell's Point) のあるハンプトン・ローズへ至る全ての経路の通行権を確保した。

この2つの会社は法的には1907年初頭に合併し、バージニアン鉄道と改称した。ページはさらに、大鉄道会社とそれを支配する「泥棒男爵」たちの鼻先で、彼らの妨害にもかかわらず「山から海へ」鉄道を建設した。バージニアン鉄道は最終的に1909年に完成したが、その資本はほとんどロジャーズ個人が出したものであった。バージニアン鉄道は新しい時代の技術で造られた鉄道で、全て新規のインフラを用意して、ライバルの大鉄道会社よりも効率的に運行することができた。

バージニアン鉄道はその50年におよぶ歴史の中で、ページとロジャーズの「最善のものに投資する」という哲学を実行し続け、利益を出し続けた。山がちでうねうねとしたピードモントから平坦なタイドウォーター平原まで、最高の効率性を発揮した。最大で最高の蒸気機関車電気機関車ディーゼル機関車を運用することで知られ、「世界でもっとも豊かな小さな鉄道」(Richest Little Railroad in the World) とのあだ名を付けられた。1959年にノーフォーク・アンド・ウェスタン鉄道と合併し、21世紀現在ではかつてのバージニアン鉄道の大部分はノーフォーク・サザン鉄道として運行中である。同社はノーフォークのターミナル駅にあるバージニアン鉄道のかつての本社ビルから数ブロック離れたところに本社を置く一級鉄道である。

合併の2年後、鉄道とそれにまつわる人々を描いた本が出版され、バージニアン鉄道がその中に登場した。この本では、競争を繰り広げる企業の陰謀を物語風に取り上げている。"The Virginian Railway" というタイトルのこの本は、歴史家のH.レイド (H. Reid) によって1961年に最初に出版され、その後数年にわたって何度も再版された。この本の初版と第2版は、バージニアン鉄道に関する遺品の中でも収集の価値のあるものとなった。合併によって消えていったアメリカの鉄道会社の中でも小さい方であるにもかかわらず、バージニアン鉄道は50年以上後になってもかつての従業員、鉄道模型愛好家、作家、写真家、歴史家、保護運動家などから驚異的な支持を集めている。21世紀初頭では、こうした人々の多くがとても活発なYahoo!グループスである「バージニアン鉄道愛好家」(Virginian Railway Enthusiasts) グループに属している。バージニア州ロアノークの退職者たちのグループが毎週集まり、世界中の700人を超える人々から寄せられる質問に答えている。バージニアン鉄道は既に歴史に消えたにもかかわらず、毎年開かれるセミナーは参加者が次第に増えており、保存活動も熱心に行われるようになっている。
バージニアン鉄道の建設

バージニアン鉄道は20世紀初期に、2人の男によって着想された。1人は優れた土木技術者で炭鉱の経営者でもあり、また企業家でもあったウィリアム・ネルソン・ページであった。そのパートナーが大金持ちの実業家であるヘンリー・ロジャーズであった。彼らはともに、ウェストバージニア州南部の高品質な瀝青炭をノーフォークのそばのハンプトン・ローズにある港まで輸送するために、ほとんど「レール上のベルトコンベア」と呼べるほどよく設計された鉄道を建設した。

バージニアン鉄道の建設は、教科書でも天然資源と鉄道の関係の例として取り上げられてきており、また20世紀初頭に小さな会社がビッグビジネスに参入して勝ち抜いてきた例としても取り上げられている。その当時は多くの鉄道が少数の強力な資本家の支配下にあり、独占禁止法の制約なしに競合者と対決していた時代だったのである。

バージニアン鉄道はバージニアの丘があたかも存在しないかのごとく、可能な限りまっすぐで平坦な線路を敷くために巨額の投資を行ったため、建設当時は愚行であると思われていた。しかし長い目で見ると、勾配と曲線の少ない線路は運行費用が安くとても利益を上げやすいということが証明された。
アンステッドのアイデアマンとたたき上げの大金持ちの協力

ウィリアム・ネルソン・ページは土木技術者で企業家である。ページはバージニア州生まれで、シャーロッツビルバージニア大学を卒業し、まず1870年代にウェストバージニア州へやってきて、チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道ニュー川とカナワ川 (Kanawha River) の渓谷で複線化を行う工事に協力した。

諸説を総合すると、華やかなページはこのころ「ページ隊長」(Colonel Page) として知られるようになってきており、ウェストバージニア州のファイエット郡 (Fayette County) の山奥の小さな町であるアンステッド (Ansted) に住んで、まもなくバージニア州とウェストバージニア州の山岳地帯で石炭と関連する産業に関わるようになった。

ページは、19世紀末から20世紀初頭にかけてウェストバージニア州の豊富な瀝青炭の炭田を開発し、その石炭を輸送する鉄道を建設して成功を収めた。彼の土木技術者としての経験により、ページはウェストバージニア州に埋蔵されている富を開発するのにうってつけの存在となっていた。元ウェストバージニア州知事のウィリアム・マッコークル (William A. MacCorkle) は、彼のことを「農夫が自分の土地について知っているがごとく、ウェストバージニアの土地を知っている」と評した。彼はエネルギッシュな企業家でもあった。こうしたことについて、作家のH.レイドはページについて「アンステッドのアイデアマン」という言葉でまとめている。

ヘンリー・ロジャーズは、マサチューセッツ州の労働者階級に生まれ育った投資家・実業家である。彼は若いうちに働き始め、パートタイムで彼の父親の食料品店を手伝い、新聞の配達をした。高校を卒業すると、彼は小さな鉄道で制動手として働き、金を貯めた。1861年、彼とその友人はペンシルベニア州の山へ出かけて、そこで南北戦争の最中に石油天然ガスの開発に従事して、最終的にジョン・ロックフェラーのスタンダード・オイルのキーマンの1人となり、大金持ちとなった。ロジャーズはアメリカ合衆国でももっとも裕福な階層となり、また若いページ同様にエネルギッシュな企業家でもあり、多くの鉄道や鉱物資源の開発プロジェクトに関わっていくことになった。瀝青炭

ページがゴーリー・マウンテン石炭会社 (Gauley Mountain Coal Company) の社長をしていた頃に、ロジャーズはページと知り合いになった。ページは、南部ウェストバージニアのニューリバーバレーからガイアンドット川 (Guyandotte River) 下流にかけての、チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道およびそのライバルのノーフォーク・アンド・ウェスタン鉄道がともにまだ到達していない地域に、未開発の豊富な瀝青炭が埋蔵されていることを知っていた。大鉄道会社がその近くの地域の炭田を開発し、石炭をハンプトン・ローズへ送り出すことに力を注いでいた中、ページはロジャーズと数名の投資家とともに、未開発の炭田を活用する計画を練った。こうして強力な協力関係が生まれた。
ディープウォーター鉄道とタイドウォーター鉄道

もともとページとロジャーズの構想は、ウェストバージニア州内のみに限られるショートラインである1898年に設立されたディープウォーター鉄道であった。大鉄道会社と石炭輸送に関する契約を結ぶことに失敗した後、結果的にディープウォーター鉄道の線路使用権はバージニア州グレン・リン (Glen Lyn) 近くにあるウェストバージニア州とバージニア州の州境上まで延長された。ディープウォーター鉄道の経路上の重要な地点としては、ページ (Page)、ミュレンズ (Mullens)、プリンストン (Princeton) がある。

バージニア州にかけては、もう1つの州内の鉄道であるタイドウォーター鉄道が1904年に設立され、ウェストバージニア州に隣接するジャイルズ郡 (Giles County) からハンプトン・ローズのあるノーフォーク郡 (Norfolk County) まで、バージニア州南部を横断して線路使用権を取得した。主要な地点としてはロアノーク、ビクトリア (Victoria)、サフォーク (バージニア州)、ノーフォーク近郊の新しい石炭桟橋の建設された港があるスーエルズ・ポイント (Sewell's Point) である。
ビクトリアの建設1954年のビクトリアの空撮写真、西方向を見る。左側に転車台扇形庫、線路の右側には旅客駅とノーフォーク地区事務所がある。ビクトリア当局の提供写真

1906年末、タイドウォーター鉄道のロアノークとスーウェルズ・ポイントの中間にあたるルネンバーグ郡 (Lunenburg County) のある場所に、将来鉄道の事務所と店舗を建設するスペースを確保した新しい町が建設された。この町は、ロジャーズが長く敬愛していたイギリスビクトリア女王にちなんで、ビクトリアと名づけられた。


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