バークシャー郡_(マサチューセッツ州)
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マサチューセッツ州バークシャー郡
郡のマサチューセッツ州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1685年
郡庁所在地無し、2000年以降郡政府が無くなった。
過去の郡庁所在地
ピッツフィールド
最大の都市ピッツフィールド
面積
 - 総面積
 - 陸
 - 水
2,451 km2 (946.27 mi2)
2,412 km2 (931.32 mi2)
39 km2 (14.95 mi2), 1.58%
人口
 - (2020年)
 - 密度
129,026人

標準時東部: UTC-5/-4
アパラチア山脈バークシャーヒルズにあるバッシュビッシュ滝バークシャーヒルズの冬

バークシャー郡(: Berkshire County)は、アメリカ合衆国東部のマサチューセッツ州の最西部に位置するである。人口は12万9026人(2020年)[1]。バークシャー郡の郡政府と郡庁所在地は1998年に廃止された。それまでの郡庁所在地ピッツフィールドであり、同郡で人口最大の都市である。バークシャーヒルズが郡の中央にあり、郡自体が「ザ・バークシャー」と呼ばれることが多い。
歴史

バークシャー郡となった地域にはモヒカン族インディアンが住んでいた。18世紀初期にヨーロッパ人開拓者達が入ってくるようになり、農園を作り家を建て始めた。1724年4月25日、イングランド人がインディアンに460ポンド、リンゴ酒3樽、ラム酒30クオート(約30リットル)を払い、現在のバークシャー郡を手に入れた[2]。この取引には現在のシェフィールド、ストックブリッジ、リッチモンド、レノックスの町が入っていなかったが、その後様々な機会にイングランド人の領土に変えられていった。

バークシャー郡は1760年までハンプシャー郡に含まれていたが、この年に分離設立された。

19世紀、郡内の多くの町は国内の上層階級が「コテージ」と呼ぶ家を建設して人気が出た。20世紀に入ると、所得税の導入、第一次世界大戦、世界恐慌と続いて、金ぴか時代が終わりを告げた。20世紀の間にコテージの幾つかは朽ち果てるか燃えるかしたが、学校、歴史史跡、あるいはベッド・アンド・ブレックファストの宿屋として生き残ったものもあった。

今日のバークシャー郡は、ボストン交響楽団の夏の家として、東海岸や国内に知られている。タングルウッド音楽祭ノーマン・ロックウェル美術館、マスMOCA、ハンコック・シェイカー・ビレッジ等が知られる。
郡政府と政治

バークシャー郡は郡政府を廃止し、歴史上の地域としてのみ存在する州内8郡の1つである。元の郡政府の機能は2000年に州機関に引き継がれた。保安官など特別の任務を持った役職者は地元の選挙で選ばれ、郡内で任務を遂行しているが、郡政委員会などの組織は無い。しかし、自治体はサービスを共有するために独自の地域協定を結ぶことが認められている。郡内にある町はバークシャー地域企画委員会と呼ばれる地域協定を結成してきた。

郡内には土地所有権登記地区が3つある。

バークシャー北部地区はアダムズにあり、ノースアダムズ市と、10の町の記録を保管している。

バークシャー中部地区はピッツフィールドにあり、ピッツバーグ市と11の町の記録を保管している。

バークシャー南部地区はグレートバーリントンにあり、9の町の記録を保管している。

登録有権者数、2010年10月13日[3]
政党登録有権者数構成比
民主党33,29337.63%
共和党8,4209.52%
無党派46,08951.52%
少数党6690.76%
合計88,471100%

バークシャー郡は、州西部の大半を構成する主に田園部のアメリカ合衆国下院議員マサチューセッツ州第1選挙区内にある。

マサチューセッツ州議会は「ジェネラル・コート」と呼ばれる。この名称は植民地時代のものを引き継いだものである。当時はジェネラル・コートが司法も担当していた。1780年にマサチューセッツ州憲法が採択されるまで、「グレート・アンド・ジェネラル・コート」と呼ばれていたが、憲法起草者のジョン・アダムズが公式名を短縮し、共和制の単純さを表現するものにした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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