バークシャー・ハサウェイ
Berkshire Hathaway Inc.
本社が置かれているキューイット・プラザ
種類株式会社
市場情報NYSE: BRK.A
バークシャー・ハサウェイ(英語: Berkshire Hathaway Inc.)は、アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハに本社を置く持株会社である[4]。もともと綿紡績事業であったが、戦後に原料価格が下がり世界中で競争が起こったため、代表者のウォーレン・バフェットの判断により保険業を足場とする機関投資家へ転換した。2020年11月時点で公開株の保有総額に占める割合の45%以上をApple株が占める[5]。 ウォーレン・バフェットが会長兼CEOを、チャーリー・マンガーが副会長を務める[6]。バークシャー・ハサウェイには2018年現在15人の取締役及び役員がおり、様々な子会社、関連会社、株式などを所有している。実質的に会長兼CEOで筆頭株主であるウォーレン・バフェットと、副会長のチャーリー・マンガーの2人が運営する株式会社の形態をとった投資ファンドと言われている[7][8]。 バフェットは「株式会社という形態をとっていても、バークシャーはパートナーシップであると私たちは考えている」[7]「私たちの長期的な財政上の目的は、バークシャー株の内在価値の一株当たり平均年間収益率を最大限に高めることである」と表明している。 バフェットは、内在価値と乖離した高い株価を好んでおらず、「バークシャーの株価は内在価値を反映した妥当な水準であること」を望んでいる[9]。 1888年、ホレイショ・ハサウェイ
概要
歴史
1950年代、ハサウェイ製造会社は、19世紀初期から事業をしていた綿織物会社バークシャー・ファイン・スピニング・アソシエイティーズと合併し、バークシャー・ハサウェイとなる。バークシャー・ハサウェイは15ヵ所の工場を所有し、120万ドル以上の収入があり、また1万2000人以上の労働者を雇用していた時期もある。本社はマサチューセッツ州ニューベッドフォードにあった。しかしながら、これらの工場の内の7ヵ所は次の10年間の間に閉鎖され、大規模な一時解雇も行われた。
1962年、ウォーレン・バフェットはバークシャー・ハサウェイが本当の価値よりも安値で取引されていると確信して株を買い始めた。スタントンの家族と衝突の後に、バフェットは十分な株を取得し、この会社を支配した。バフェットはバークシャー・ハサウェイの中核ビジネスである綿織物紡績業を維持したが、1967年までに投資業に事業を拡大していった。
1970年代の終わりにバークシャー・ハサウェイは、今日バークシャーの投資業の主要な資金源であるガイコを取得し、今日の投資業のスタイルとなった。1985年、バークシャー・ハサウェイの歴史的中核事業である綿紡績事業を終了した。 バークシャー・ハサウェイはA種株式とB種株式を発行している。B種株式の発行価格はA種株式の1,500分の1である。B種株式はA種株式の議決権の10,000分の1の議決権が与えられている。バークシャー・ハサウェイは2010年1月20日に実施するまで株式分割を行ったことがないという特徴を持つ[要出典]。 2010年1月20日の株式分割は、B種株式に対して1:50の比率で行われた。
発行株式