バンド・ワゴン
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この項目では、アメリカ合衆国ミュージカル映画について説明しています。その他の用法については「バンドワゴン」をご覧ください。
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バンド・ワゴン
The Band Wagon
ポスター(1953)
監督ヴィンセント・ミネリ
脚本ベティ・コムデン
アドルフ・グリーン
製作アーサー・フリード
製作協力 ロジャー・イーデンス
出演者フレッド・アステア
シド・チャリシー
オスカー・レヴァント
ナネット・ファブレー
ジャック・ブキャナン
音楽アドルフ・ドイチュ
コンラッド・サリンジャー
撮影ハリー・ジャクソン
編集ハリー・アクスト
配給メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
公開 1953年8月7日
1953年12月15日
上映時間112分
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
製作費2,873,000ドル[1]
配給収入2,300,000ドル(北米)
1,202,000ドル(海外)[1]
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左から、オスカー・レヴァント、シド・チャリシー、ジャック・ブキャナン、フレッド・アステア、ナネット・ファブレー(予告編から)

『バンド・ワゴン』(英語: The Band Wagon)は、1953年アメリカ合衆国ミュージカル映画。監督はヴィンセント・ミネリ、出演はフレッド・アステアシド・チャリシーなど。MGM社製作・配給。
ストーリー

観客の嗜好が少しずつ変わりはじめていた1950年代のアメリカ映画界、『Swimming down to Panama』(アステアが主演した『空中レビュー時代』の原題『Flying down to Rio』の捩り)などで知られるミュージカル映画のスター、トニー・ハンター(フレッド・アステア扮)も、かつて一世を風靡したトップ・ハット燕尾服という優雅なスタイルが時代に合わず、今や半ば引退したような日々を送っている。久々にお忍びで訪ねたニューヨークでは、同じ列車に乗っていたエヴァ・ガードナー(本人がカメオ出演)を待ち構える新聞記者たちを、自分を待っていてくれたのだと勘違いする始末。

「ぼくは一人で歩いてゆくさ」(「By myself」)と歌いながら改札を出たトニーの前に、旧知のレスター(オスカー・レヴァント扮)とリリー(ナネット・ファブレイ扮)のマートン夫妻が彼ら一流のジョークで「トニー・ハンター・ファンクラブ」の立看板を持ちにぎやかに現れる。脚本家とソングライターを兼ねる二人は、できあがったばかりの脚本をトニー主演で舞台化すべく早速駆けつけたのであった。あまり気乗りのしないトニーに、レスターは「とにかく演出に予定しているジェフリー・コルドバ(ジャック・ブッキャナン扮)に一度会ってみてくれ、今晩彼の舞台がはねた後で会おう」と言う。ブロードウェイを歩きながら、「気分が落ちこんだときは、まず態度から変えてみよう」と悟ったトニーは、「それには靴を磨くのが一番」(「Shine on your shoes」)と靴磨きを相手に踊る。

コルドバが演出・主演する『オイディプス王』の舞台がはねた後、トニー、マートン夫妻、コルドバが集まってトニーを口説く。マートン夫妻が舞台のプロットを説明すると、「それはまさに現代のファウストだ」と興奮したコルドバは、悪役を買って出た上にミュージカル・コメディ用の脚本を深刻な心理劇に書きなおすよう二人に指示。さらに「コメディじゃないならぼくはお呼びでない」と出演を渋るトニーに、「古い栄光にしがみつくな、この舞台で新しいトニー・ハンター像を打ちたてるんだ。ビル・シェイクスピアの台詞のリズムも、ビル・ロビンソンタップのリズムも、同じように人を楽しませる」と説き、「それがエンターテイメントだ」(「ザッツ・エンターテインメント」)と四人で歌い、踊って、ついにトニーを納得させた。

さらに持ち前の弁舌と手管で、バレエダンサーのガブリエル(ギャビー)・ジェラルド(シド・チャリシー扮)を主演女優に、その恋人で新進の振付師ポール・バード(ジェームズ・ミッチェル扮)を振付に獲得した上、大勢の出資者まで確保したコルドバは自信満々で製作を開始するが、リハーサルが進むにつれて徐々に出演者の間には険悪な雰囲気がただよいはじめる。特に初対面から相手役ギャビーの身長を気にしていたトニーは、慣れないバレエ風の振付やコルドバの演技指導に不満を募らせ、ついに「ぼくはニジンスキーでもなけりゃ、マーロン・ブランドでもない。君(コルドバ)の演技指導にも、この子(ギャビー)の作り笑いにはうんざりだ」と舞台を降りると言い出す。

コルドバやバードに因果を含められたギャビーはしぶしぶトニーのもとへ謝りにゆくが、ささいな口げんかから泣き出した。しかしそれがかえって二人の間をうちとけさせ、トニーは率直に語りはじめた。「君や、才能のある若い人たちが怖かったんだ。ぼくら二人はバレエとミュージカル、二つの別な世界からやってきた。でもいっしょにできると思うよ」。夜の公園へと繰り出した二人は、自分たちのステップを見つけて踊りはじめ(「Dancing in the dark」)、ついに舞台で「いっしょにできる」ことを確信した。

初日にこぎつけた舞台『バンド・ワゴン』ではあったが、その結果は惨憺たるものであった。コルドバの前衛的な演出と脚本の変更に客は唖然として引きあげ、スポンサーたちは手を引き、初日のパーティ会場はがらがらであった。しかしコーラスダンサーとして参加していた若い役者たちの「愚痴パーティ」に顔を出したトニーやギャビー、マートン夫妻は、ビールを飲んで騒ぎながら(「I love Luise」)、この舞台、このメンバーをこのまま失敗に終わらせるのは惜しいと痛感した。もとのミュージカル・コメディ版の脚本に立ち返って、新曲を増やし、地方公演を行いつつ内容を固めればかならずヒットをねらえる、資金は自分の持っている印象派の絵画を売ればいい、と主張するトニーに、コルドバもまた賛成し、「舞台にボスは一人でいい、ボスは君(トニー)だ。そしてできればぼくも一人の役者として参加したい」と述べた。一方でギャビーは「ここらが切り上げ時だ」と手を引くポールに逆らって、次第に心を引かれ始めていたトニーとともに一座に残る道を選んだ。

ギャビーの「New Sun In The Sky」、トニーとコルドバの「I Guess I'll Have to Change My Plan」、リリーの「Louisiana hayride」、トニー、リリー、コルドバの「Tripls」、そしてトニーとギャビーによるフィナーレ「Girl hunt ballet」のナンバーを揃えた『バンド・ワゴン』は地方公演で好成績を収め、ついにブロードウェイに凱旋公演を果たした。その一方でギャビーはバードとの別れを選び、バードは別の女性と結婚するが、トニーはギャビーの気持ちになかなか自信を持つことができない。初日の舞台入りでたまたまギャビーと出くわしたトニーは「この舞台がヒットしたら、ロングランでずっとぼくといっしょにいなくちゃならない。うんざりしないかい?」と尋ねるが、ギャビーは答えない。大成功のうちに幕を閉じたニューヨーク初日であったが、トニーの心は晴れなかった。

初日の舞台がはねたあと、ふだんなら当たり前のオープニングナイト・パーティも行われず、「ギャビーはバードと出かけた」と聞かされて意気消沈したトニーだったが、やがて気をとりなおして一人で舞台の成功を祝うべく「ぼくは一人で歩いてゆくさ」(「By myself」)と口ずさにみながら楽屋を後にする。しかし舞台の上にはキャストとスタッフが勢ぞろいしてトニーを驚かせ、ギャビーは「あなたといっしょにずっとずっとロングランをつづけてゆくわ」と愛を訴えるのであった。


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