バンドブーム
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "バンドブーム" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2021年6月)

バンドブームとは、日本でバンド演奏が中高生や若者の間で流行した一連のブームをいう。バンドが演奏する音楽を聞くだけではなく、自ら楽器を演奏する人口が増えたことが特徴で、一種の社会現象であった。1990年代に、マーケット用語としてJ-ROCKという名称を使用した[1]
1960年代中期エレキ・ブーム?グループ・サウンズ

サーフィンミュージック(エレキ・ブーム)は、主にザ・ベンチャーズを中心とした、エレクトリック・ギターを用いた器楽曲の流行に伴うブームである。日本の電気楽器産業の出発点とも考えられる。ヒットチャートから楽器演奏に興味を持った人口が増加したものの、当時の楽器は輸入品で高価だったこともあり、国産の電気楽器が低コストを売りに参入することになる。楽器人口の増加からコンテストが開かれるようになった。ブームは1965年のザ・ベンチャーズ再来日時がピークとされている。フジテレビジョン勝ち抜きエレキ合戦』によりアマチュアバンドのコンテストがお茶の間に届けられた。1960年代中期 - 後期におけるグループ・サウンズ(GS)ブームも楽器演奏人口の増加を伴う流行であった。1966年の後半からザ・タイガースなどのヒットによりブームが始まる。音楽史的には上記のサーフィンミュージックの後にカレッジフォークブームなどが有り、後にGSブームが起こるという記述がある。GSブーム時にはジャズ喫茶ライブハウスの原型としてバンドの活動の場となっていく。
1980年代中盤?後半フォークロック

1980年代中盤になると浜田省吾長渕剛といったフォークロックスタイルの歌手も人気となるが、バンドの形態ではなく歌手一人での売出し活動であった。
バンドブーム前夜(第一次バンドブーム)

1980年代に突入すると、ソロ歌手でロック音楽を歌唱する歌手が増える。浜田麻里小比類巻かほる渡辺美里等である。またロックバンドか次々登場する。サザンオールスターズ世良公則&ツイストRCサクセションイエロー・マジック・オーケストラらがヒットチャートを席巻。フォークソングニューミュージックに続きロックがヒットチャートを席巻する時代の幕開けとなった。1970年代後半 - 1980年代前半にかけて開催されたヤマハ主催のコンテストである「EastWest」および「8・8ロックデイ」、ヤマハポピュラーソングコンテスト」がバンドの登竜門的な役割を果たしている。特筆すべきはコンテストからメジャー・デビューしてヒットチャートにあがりブームになるという流れが出来たことで、ラジオなどから流れてくる洋楽がヒットチャートの上位に来てからブームが始まった事に比較すると正反対の流れであった。また、メディアに依存することなく、ライブ・ハウスでの評判をきっかけにメジャー・デビューする独自性の高いグループも目立つようになり、特に80年代に入り音楽誌で多く取り上げられるようになるなど、市場に新しい勢力を確立し、第二次バンドブームへの礎を作った。
第二次バンドブーム始まる

バンドブームとは1980年後半から1990年前半までの第二次バンドブームを指すことが多い[2]
1980年代後半ホコ天・イカ天

TBSの深夜番組『平成名物TV』内の一コーナー『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称『イカ天』。放送期間:1989年2月?1990年12月)、ソニー・マガジンズ刊の雑誌が火付け役となったもの。『イカ天』は対バン形式で審査を行うもので、その審査がやたらに厳しい事でも知られていたが、同時に多くの個性的なアマチュア/ホコ天バンドが世に出るきっかけにもなった。1990年、『イカ天』に出演し話題になったたまの「さよなら人類」やBEGINの「恋しくて」がヒットした。
 主なイカ天バンド

たま

BEGIN

カブキロックス

1980年代終盤?1990年代前半バンドブーム

1980年代終盤から1990年代前半にかけてアイドル、ヒットチャート番組の衰退と入れ替わるようにして起こったロックバンドの一大ブームが起きる。HOUND DOGレベッカなど1980年代から活動していたバンドの他、多彩なロックのサブジャンルが生じ、ヒットチャートを賑わした。
1980年代終盤ソロ歌手のロック

1980年代終盤?ロック音楽としてはバンドとして売り出さず、ソロ(歌手名)で売り出すアーティストも多く見られた。浜田麻里小比類巻かほる久宝留理子渡辺美里等。
ビートロック

BOOWY

BUCK-TICK
ビートロック」も参照
デジタルロック

TM NETWORK
デジタルロック」も参照
女性メタル、ハードロック、ガールズバンド

プリンセス プリンセス

SHOW-YA

GO-BANG'S

LAメタルグラムロック系

ZIGGY

和製ファンクバンド

米米CLUB

ポストパンク

PERSONZ

メタル(および後のヴィジュアル系)

X
ヴィジュアル系」も参照


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:55 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef