バンサモロ共和国
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この項目では、2013年のモロ民族解放戦線によるザンボアンガ近郊の制圧による独立について説明しています。他の時期のバンサモロの独立宣言については「バンサモロの独立宣言」を、提案されている自治政府については「バンサモロ自治政府」をご覧ください。

バンサモロ連邦共和国
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事実上の独立


2013年



国旗

首都ダバオ (法律上)
政府連邦 大統領制 立憲共和国[1]
(亡命政府)[2]
大統領
 ? 2013年ヌル・ミスアリ
歴史
 ? 独立宣言(英語版)2013年7月27日
 ? 他国による認識無し
 ? ザンボアンガ危機(英語版)での敗北2013年9月28日

バンサモロ共和国(英語: Bangsamoro Republik)はフィリピンバンサモロ自治地域周辺やその他バンサモロとされる地域でモロ民族解放戦線(MNLF)が独立を主張している国家。2013年9月にはザンボアンガ危機(英語版)において、ある程度の地区を制圧し事実上独立していた。公式名称はバンサモロ共和国連合連邦諸州(United Federated States of Bangsamoro Republik、UFSBR)とされる[3]目次

1 経緯

1.1 前史

1.2 一時的な独立

1.3 収束


2 関連項目

3 脚注

経緯

この節の加筆が望まれています。 (2013年9月)

前史

13世紀、マクダム・カリム(英語版)などムスリム宣教師がペルシャ湾から渡来し、[4]、フィリピンでの原住民への宣教を開始した。マレーシアやインドネシアとの貿易も南部フィリピンのイスラム地域化を進めた。イスラムの導入後、1457年にスルターン国が設立された。ブアヤン、マギンダナオスールーなどでもスルタン国が建国され、これらの国は1898年のアメリカ合衆国によるフィリピン諸島併合までのフィリピン諸島で最も古いムスリムの政府と考えられている。アメリカ統治時代、バンサモロの大部分はモロ州(英語版)、後にミンダナオ・スールー省(英語版)として統治が行われた。

独立国家としてのバンサモロ共和国の宣言(英語版)はMNLFが最初に旗揚げを試み、ホロで包囲された2ヵ月後の1974年4月28日にはじめて行われた[5][6][7]
一時的な独立詳細は「ザンボアンガ危機(英語版)」を参照

モロ民族解放戦線(MNLF)の指導者ヌル・ミスアリは2013年7月27日に、スールー州タリパオ(英語版)でバンサモロ独立宣言を発し、首都をダバオとすると宣言した[8]

ミスアリによれば、共和国の領域にはバンサモロが伝統的に居住するバシラン州ミンダナオ島パラワン州スールー州タウイタウイ州[3]が含まれた。また、ミスアリの弁護士Emmanuel Fontanillaによれば、この国家はマレーシアサバ州サラワク州も含んでいたとされる[2][9]

この独立宣言は、すべての植民地に独立性を付与した1960年の国連総会決議第1514号(英語版)の権限の下行われたとされ[10]、その後9月にはザンボアンガ市庁舎を含め一時的に狭い範囲を制圧し、政府軍と衝突するザンボアンガ危機(英語版)に発展した[11]。危機の間、MNLFはザンボアンガ市の3地区の事実上の支配を行っていたとされる[12][13]
収束

ザンボアンガ危機ではMNLFとフィリピン政府の間で戦闘が発生し、MNLFはザンボアンガ市庁舎を占領し市庁舎に旗(英語版)を掲げたものの、同月末にMNLFの指導者Asamin Hussinheは、カサニャンガン地区(Kasanyangan)でとらわれた200人の人質のうち数人を解放し、その後ザンボアンガ市庁舎の開放も行った[11]。2013年の9月28日にはすべての支配地域を失い、バンサモロ共和国は実体を持たなくなった。しかし、MNLFはバンサモロ共和国の独立の宣言を放棄していない。

一方で、フィリピンとモロ・イスラム解放戦線の間では和平プロセス(英語版)が進められ、イスラム教徒ミンダナオ自治地域よりも強力な自治政府をもつバンサモロ自治地域の発足を目指した[14]。バンサモロ自治地域は2019年に発足した。
関連項目

バンサモロ

モロ民族解放戦線

バンサモロ共和国の旗(英語版)

バンサモロ枠組み合意(英語版)

フィリピンでのバンサモロとの和平プロセス(英語版)

バンサモロ自治政府(英語版)

脚注^ “MNLF returns to rebellion | Headlines, News, The Philippine Star”. philstar.com (2013年8月16日). 2013年9月8日閲覧。
^ a b “ ⇒Misuari declares independence of Mindanao, southern Philippines”. Gulf News (2013年8月16日). 2013年9月8日閲覧。
^ a b “Bangsamoro Constitution: Road map to Independence and National self-determination”. MNLF公式ウェブサイト (2013年8月23日). 2013年9月8日閲覧。
^ M.R. Izady. "The Gulf's Ethnic Diversity: An Evolutionary History. in G. Sick and L. Potter, eds., Security in the Persian Gulf Origins, Obstacles, and the Search for Consensus,(NYC: Palgrave, 2002)
^ W.K. Che Man. "Muslim Separatism: The Moros of Southern Philippines and the Malays of Southern Thailand". Quezon City: Ateneo de Manila University Press, 1974.
^ Abinales, Patricio. N., et al. "State and Society in the Philippines". Oxford: Rowman & Littlefield Publishers, Inc., 2005.
^ Ben Cal (2013年9月11日). “ ⇒MNLF’s first try to raise flag was 39 years ago”. Manila Bulletin. 2014年1月13日閲覧。
^ “WHO IS AFRAID OF MINDANAO INDEPENDENCE?”. MNLF公式ウェブサイト (2013年8月14日). 2013年11月19日閲覧。


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