バロン吉元
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バロン吉元
本名吉元正[1]
生誕11月11日
職業漫画家 画家
活動期間1959年 -
ジャンル青年漫画
代表作柔侠伝シリーズ
公式サイト ⇒バロン吉元 OFFICIAL WEB SITE
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バロン 吉元(バロン よしもと)は、日本漫画家画家。本名、吉元 正(よしもとただし)[1]日本漫画家協会理事。大阪芸術大学キャラクター造形学科元教授。

1960年代 - 1970年代にかけて巻き起こった劇画ブームの全盛期を築いた劇画家の一人である。

中国旧満州生まれ、鹿児島県指宿市育ち。鹿児島県立指宿高等学校卒業。武蔵野美術大学西洋画科を中退[2]柔道は黒帯の腕前。
来歴

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1959年、『街』(セントラル出版)に投稿した『ほしいなあ』が入選、新人特別賞受賞。その後、横山まさみちアシスタントになり、ストーリーを学ぶ。それに平行して、セツ・モードセミナーにて長沢節穂積和夫などファッション・イラストレーターに絵を学ぶ。アクションやSF、青春物などの貸本漫画を本名「吉元正」の名義で発表し、青年誌へ活動の場を広げた。

バロン吉元の名は1967年に『漫画ストーリー』(双葉社)に掲載された『ベトコンの女豹』から使用(本人曰く「編集部に勝手に付けられた名前」とのこと)[3]

1967年に創刊された『漫画アクション』(双葉社)において活躍し、代表作である大河漫画『柔侠伝』シリーズは1970年大阪万博で始まり三島由紀夫の割腹自殺で終わった激動の年に開始され、以後10年間にわたり連載。1970年代を代表するヒット作であり、人気を博した。

同作ヒロインの一人、「茜」はサントリーから発売されたマイルド・ウォッカ「樹氷」のコマーシャルに、「樹氷にしてねと、あの娘は言った。」のキャッチコピーと共に起用された。また、歌手あがた森魚が1974年に発表したアルバム、「噫無情(レ・ミゼラブル)」に収録されている「昭和柔侠伝の唄」(最后のダンス・ステップ)は、バロン吉元の同作にちなんだ女優緑魔子とのデュエット曲である。

基本的に青年漫画のフィールドで時代劇、戦記、伝記、ギャンブル、SF等幅広い作品をこなす。少年漫画にも活躍の場を持ち、『少年サンデー』にて、『力童くん』を連載する。

『柔侠伝』終了後、渡米。1985年に帰国後は『龍まんじ』の雅号で絵画制作活動を開始する。並行して、『石川啄木』(佼成出版)、『小さな巨人』(アフタヌーン)、『親鸞』(角川書店)などを発表。

1986年、双葉社より絵物語『天女』を発行。

1992年、二科展奨励賞受賞。1997年には現創展クサカベ賞、アーチ大賞展大賞、東京展優秀賞を受賞。

2000年、ニューヨークのソーホーにて、2001年には京都造形芸術大学芸術館にてそれぞれ個展を開催した。

2004年、アメリカ、サンディエゴにて開催のコミコン・インターナショナル、また中国北京世界漫画大会に出席。

翌年2005年には個展「天女がいっぱい」を銀座にて開催、オープニングパーティが帝国ホテルにて催された。2010年、フランス、パリで開催のJapan Expoに参加。

文化庁指名により、第一回文化庁文化交流使としてスウェーデンに赴き、日本の漫画文化を伝える為、様々なレクチャー・イベントを開催[4]

邦画・洋画問わず、映画作品への造詣が深いことから、映画誌『キネマ旬報』1976年5月上旬号より連載を開始。1978年3月上旬号まで『ハリウッド悪党伝』、4月上旬春の特別号から1980年5月上旬号まで『ギンマク悪党伝』、そして1980年6月上旬号から1981年5月上旬号まで『映画悪党伝』を執筆。これらの連載は、後に双葉社より出版された『映画悪党伝』にまとめられている。書中には、貸本時代よりバロン吉元のファンであった俳優松田優作との対談も掲載されている。バロン吉元はそれより前に、松田優作主演の日本テレビ系ドラマ『探偵物語』番組宣伝用ポスターも手がけており、また2002年2月に渋谷PARCOにて開催された「YUSAKU MATSUDA EXHIBITION 松田優作と現代のクリエイターたち[5]」には、宇川直宏ナンシー関リリー・フランキーらと共に、松田優作へのオマージュであるイラストレーションを展示した。


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