バレーボールキューバ女子代表
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バレーボールキューバ女子代表
国または地域 キューバ
大陸連盟北中米バレーボール連盟
協会キューババレーボール連盟
監督フアンカルロス・ガラ
国名コードCUB (Cuba)
FIVBランキング25位(2017年8月版)[1]
オリンピック
出場回数9回
初出場1972 ミュンヘン
最高成績1 金メダル(1992、1996、2000)
世界選手権
出場回数11回
初出場1970 世界選手権
最高成績1 金メダル(1978、1994、1998)
ワールドカップ
出場回数10回
初出場1973 ワールドカップ
最高成績1 優勝(1989、1991、1995、1999)
北中米選手権
出場回数21回
最高成績1 優勝(1973、1975、1977、1979、1985、1987、1989、1991、1993、1995、1997、1999、2007)
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バレーボールキューバ女子代表(バレーボールキューバじょしだいひょう)は、バレーボールの国際大会で編成されるキューバの女子バレーボールナショナルチームである。

1955年国際バレーボール連盟へ加盟[2]
歴史

選手の身体能力が特筆に価する。個々のジャンプ力が高く、ツーセッター制を伝統的に行っている。1990年代のキューバ代表は世界のトップに君臨し、特にミレヤ・ルイスレグラ・トレスの活躍により、1991年から2000年にかけて前人未到のバレーボール3大大会8連覇を成し遂げた。

だが、その後低迷期を迎えると、2002年世界選手権は5位、2003年のワールドカップでは6位となった。2004年のアテネ五輪では3位となり銅メダルを獲得するも、2007年のワールドカップ、2008年での北京五輪ではいずれも4位とメダルに届かず、2010年の世界選手権では三大国際大会でワーストとなる12位に終わった。翌年の2011年バレーボール・ワールドグランプリでは、格下の相手にも足をすくわれて11位という結果に終わってしまった。

2012年のロンドン五輪世界最終予選でも出場権を獲得できず、「6大会連続となる五輪出場」を逃すこととなった[3]

その要因となるのが代表主力選手が次々と海外移籍し、代表を離脱したことにある。その後、各海外リーグで活躍するとそのまま市民権を取得、アゼルバイジャンカザフスタンなどに帰化した。

中でもミレヤ・ルイスの再来と言われ、中学生でシニア代表デビューしたメリッサ・バルガスも、セルビアとトルコの市民権を取得し、トルコ代表デビューの日を待ち望んでいる。[1]
過去の成績
オリンピックの成績



1964年 - 不参加

1968年 - 不参加

1972年 - 6位

1976年 - 5位

1980年 - 5位

1984年 - 不参加



1988年 - 不参加

1992年 - 1 金メダル

1996年 - 1 金メダル

2000年 - 1 金メダル

2004年 - 3 銅メダル

2008年 - 4位



2012年 - 最終予選敗退



世界選手権の成績

1952年から1967年まで不参加



1970年 - 8位

1974年 - 7位

1978年 - 1 金メダル

1982年 - 5位

1986年 - 2 銀メダル

1990年 - 4位



1994年 - 1 金メダル

1998年 - 1 金メダル

2002年 - 5位

2006年 - 7位

2010年 - 12位

2014年 - 21位



2018年 - 出場予定



ワールドカップの成績



1973年 - 5位


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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