バレンティーノ・ロッシ
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バレンティーノ・ロッシ
2017年、アラゴンGP
国籍 イタリア
生年月日 (1979-02-16) 1979年2月16日(45歳)
ペーザロ・エ・ウルビーノ県ウルビーノ
現在のチームモンスター・ヤマハ MotoGP
ゼッケン46
ウェブサイト ⇒valentinorossi.com

レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2002年-2021年
マニファクチャラーホンダ (2002年-2003年)
ヤマハ (2004年-2010年, 2013年-2021年
ドゥカティ (2011年-2012年)
チャンピオン6 (2002年, 2003年, 2004年, 2005年, 2008年, 2009年)
2021年 順位18位 (44 pts)

出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
3728919955765,415

ロードレース世界選手権 500ccクラス
活動期間2000年-2001年
マニファクチャラーホンダ (2000年-2001年)
チャンピオン1 (2001年)

出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
321323415534

ロードレース世界選手権 250ccクラス
活動期間1998年-1999年
マニファクチャラーアプリリア
チャンピオン1 (1999年)

出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
301421511510

ロードレース世界選手権 125ccクラス
活動期間1996年-1997年
マニファクチャラーアプリリア
チャンピオン1 (1997年)

出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
30121559432


バレンティーノ・ロッシ(Valentino Rossi, 1979年2月16日 - )は、イタリアオートバイレーサー、レーシングドライバー。異父弟は同じオートバイレーサーのルカ・マリーニ

ロードレース世界選手権参戦以来15年間で9回のワールドチャンピオンを獲得しており、「史上最強のライダー」との呼び声も高い[1][2][3]。現時点では史上唯一の「2ストローク時代に125-500cc迄の開催されている全カテゴリーでチャンピオンを獲得したライダー」である。2021年8月5日、同年限りでの引退を表明した[4]
経歴
幼少期

マルケ州ウルビーノで生まれる[5]。家族は彼が子供の頃にタヴッリアに移り住む。父親のグラツィアーノはかつてスズキで活躍したグランプリレーサーで、ロッシは非常に幼くしてモータースポーツを始めた[6]。初めて熱中したのはカートであった。これは母親のステファニアがロッシの身を案じたため、グラツィアーノがバイクの代用品として購入した物であった。グラツィアーノは5歳の息子のために、60ccのカートに代えて100ccのナショナルカートを与えた[7]

ロッシは1990年に地域のカート選手権でタイトルを獲得した[8]。この後彼はポケバイレースを始め、1991年の終わりまでに地域のレースで幾度となく勝利した[6]

ロッシはカートレースも続け、パルマでのカート選手権で5位に入った。ロッシは父親と共に、イタリア100ccシリーズとヨーロッパシリーズへの参戦を考えた。それは彼をフォーミュラ1への道に進める選択肢であったが、参戦にかかる高額な費用はポケバイレースを選択するという決定につながった。1992年と93年を通してロッシはポケバイレースの一部始終を学び続けていた。しかし彼によると金銭的な問題はあったもののそれが決定的な原因だったわけではないという。

1993年にロッシは、父親、バージニオ・フェラーリ、クラウディオ・カスティリオーニ、クラウディオ・ルサルディ(カジバ・スポーツポロダクションチームを率いていた)らからの助けを受けて、125ccのカジバ・ミトに乗ってレースに出場したが、ピットレーンからわずか100m離れた第1コーナーでクラッシュした[9]。彼はその週末、レースを9位で終えた[9]

イタリア・スポーツプロダクション選手権での最初のシーズンは変化に富んだ物であり、ロッシはシーズン最終戦のミサノポールポジションを獲得し、決勝では表彰台に上った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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