バレンシア州
バレンシア語 : Comunitat Valenciana
スペイン語 : Comunidad Valenciana
自治州
旗
紋章
国名スペイン
州都バレンシア
県バレンシア県、アリカンテ県、カステリョン県
政府
? 州首相カルロス・マゾン
バレンシア州(バレンシアしゅう、バレンシア語:Comunitat Valenciana 発音: [komuni?tad valensi?ana]、スペイン語: Comunidad Valenciana 発音: [komuni?dad βalen?θjana])は、スペイン東部にある自治州。バレンシア県・アリカンテ県・カステリョン県の3県からなる。州都はバレンシア。北はアラゴン州とカタルーニャ州、西はカスティーリャ=ラ・マンチャ州、南はムルシア州に接し、東は地中海に面する。
歴史
古代アスエバルにあるローマ時代の石碑
古代、現在のバレンシア州の領域には、イベリア人の異なる部族が定住していた。南部のコンテスタニ人(英語版)、中央のエデタノス人(スペイン語版)、北のイレルカボネス人(英語版)である。イベリア人は、フェニキア人、古代ギリシャ人、カルタゴ人と海上貿易を通じて関係があった。
紀元前202年の第二次ポエニ戦争によるローマ勝利後、バレンシア沿岸部全体がローマに服従した。7世紀ものローマ支配の間、イベリア人は政治的・経済的・社会的組織に徐々に吸収されていき、言語もラテン語を取り込んでいった。スペインの他のイベリア人定住地にあったような固有の反乱は、この地域には存在しなかった。
中世バレンシアにあるセランス塔
8世紀から13世紀まではイスラーム教徒がこの地を支配し、タイファ諸国のバランシヤ王国やデニア王国の領域だったが、11世紀までは中心都市の定まらない人口希薄地域にすぎなかった。イスラーム教徒らが灌漑システムを拡張し始めると、バレンシアが都市に成長した。
1232年から1245年にかけて、キリスト教勢力のアラゴン王ハイメ1世がバランシヤ王国やデニア王国を征服し(レコンキスタ)、アラゴン連合王国の構成国としてバレンシア王国を築いた。アラゴン王がバレンシア王を兼任したが、バレンシア王国には自治法や議会などの自治権が与えられた。イスラーム支配時代の名残として、レコンキスタ後にも残留したイスラーム教徒であるムデハル(英語版)が人口の大多数を占めていたが、アラゴン連合王国への併合後には主としてカタルーニャ人とアラゴン人がバレンシアに入植した。
15世紀のアラゴン連合王国の地中海遠征がもとで、バレンシアは社会的・経済的に黄金の世紀を迎えた。1479年のアラゴン=カスティーリャ同君連合成立によって、その繁栄は最高潮に達した。 1518年、スペイン王カルロス1世が即位すると、ヘルマニア反乱、カスティーリャ人のバレンシア副王・官僚に対する農民反乱といった重要な社会的対立が起こった。一方、アメリカ大陸発見によって貿易の中心が大西洋にとってかわり、バレンシアの比重は減少した。また、バルバリア海賊の襲撃が継続してバレンシア沿岸を脅かした。1609年のモリスコ追放により、バレンシアは人口の1/3を失うという打撃を受けた。 18世紀はじめのスペイン継承戦争でバレンシアはオーストリア・ハプスブルク家のカール大公の側について戦った。ブルボン家のアンジュー公フィリップが勝利し、フェリペ5世として王位に就くと、彼は1707年に新国家基本法を布告し、バレンシアの全ての自治権を剥奪した。スペイン王国の一部としての行政組織に取り替えられてしまったのである。18世紀後半、バレンシアの経済成長と人口の伸びは顕著なものとなった。 19世紀のバレンシアでは、ワイン用ブドウ、米、オレンジ、アーモンドの栽培が盛んとなり、農地が拡張された。アルコイやサグントといった例外を除いて、スペインの他地域のような工業化は不完全で遅れていた。 1833年11月、スペイン国土区分令によってスペイン国内は49の県に分割され、かつてのバレンシア王国はバレンシア県、アリカンテ県、カステリョン県に三分割された。
近代
現代
スペイン1978年憲法では新たな地方行政区分として自治州の設置が認められた。1982年7月10日にはバレンシア自治州憲章が制定され、バレンシア県・アリカンテ県・カステリョン県の3県からなるバレンシア州が発足した。スペイン政府によって地域言語の権利が認められたため、バレンシア州は国家公用語であるスペイン語とともにバレンシア語を公用語とした。
1992年11月2日、バレンシア州政府は日本の三重県と姉妹(友好)提携を締結した[1][2]。 バレンシア州の内陸部は山地である。カステリョン県の山地はイベリコ山系に属し、アリカンテ県の山地はベティコ山系の一部である。地中海にはコルンブレテス諸島やタバルカ島
地理バレンシア州の地勢
地勢
バレンシア州を代表する山はカステリョン県にあるペニャゴロサ山(英語版)(標高1813m)である。かつてペニャゴロサ山はバレンシア州の最高峰と考えられてきたが、実際にはリンコン・デ・アデムス(英語版)[注釈 1]にあるカルデロン山(スペイン語版)(標高1839m)がバレンシア州の最高峰である。バレンシア州南部を代表する山はアイタナ山(英語版)(標高1558m)である。
ナオ岬(英語版)やカステリョン県のペニスコラ周辺を除けば、地中海沿岸には肥沃な平野が広がっている。この沿岸地帯の典型は、バレンシア近郊のアルブフェーラ、エルチェのエル・フォンド、ペーゴ近郊のマルハルのような湿地である。サンタ・ポーラやトーレビエハ地域にはかつて湿地だった土地や塩田もある。渡り鳥、定着した海鳥、水鳥がいることから、これらは全てラムサール条約登録地となっている。
アルブフェーラ近郊とグアルダマールには重要な砂丘地があり、どちらも砂丘の成長を食い止めるために19世紀に数千本の植林がなされ、現在注目される環境的価値のある保護区とされている。
ペニャゴロサ山
アルブフェーラ湿地