バレニー諸島
所在海域ロス海(南極海)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯66度55分 東経163度20分 / 南緯66.917度 東経163.333度 / -66.917; 163.333
バレニー諸島(英語: Balleny Islands)は、南極海にある諸島。ロス海域北端部[1]、南極線(南緯66度33分)付近にある無人の火山島群である。
1839年、イギリスの捕鯨船長ジョン・バレニーによって発見された[2]。南極探検史上、南極圏で最初に人類が上陸した陸地である[3]。南極環流のただ中に位置する海洋性の島であることから、海鳥や海獣の貴重な休息地・繁殖地となっており[1]、諸島に含まれるサブリナ島は南極特別保護地区 (Antarctic Specially Protected Area) に指定されている。
地理バレニー諸島サブリナ島のモノリス
位置・広がり の北北東約240kmに位置する[2]。3つの大きな島と、2つの小さな島[2]、および露岩からなっている。厚い氷河に覆われた火山島で[2]、北西 - 南東方向に約160kmにわたって広がっている[2]。諸島の面積は400 km2。諸島の最高地点はスタージ島のブラウン・ピーク (Brown Peak (Sturge Island)) で、標高は1,705 mである[4](ただしこれはアメリカによる数値であり[5]、ニュージーランドの数値によれば 1,524 mとされる[6])。
主要3島は、北西から順に以下のとおり。
ヤング島 (Young Island)
バックル島 (Buckle Island)
スタージ島 (Sturge Island)
バックル島の南にサブリナ島 (Sabrina Island) 、ヤング島の南にボラデール島 (Borradaile Island) がある。ボラデール島には南極線(南緯66度33分)が通過している。 ニュージーランドが「ロス海属領」の一部として領有権を主張している。
領有権主張
歴史
1839年: バレニーによる発見と上陸バレニー諸島の位置。ニュージーランドのほぼ南にある。南極大陸とバレニー諸島
バレニーの「エリザ・スコット号」は、トーマス・フリーマン(Thomas Freeman)が船長を務めるカッター「サブリナ号」 Sabrina とともに、ニュージーランドからキャンベル島を経由して南極海に入った[7]。しかし海氷に進路を阻まれ、2月1日に南緯69度00分 東経172度11分 / 南緯69.000度 東経172.183度 / -69.000; 172.183を最南到達点として、霧の中で北西に進むことを余儀なくされる[7]。2月9日午前11時30分、バレニーはこの諸島を発見する[7]。
2月11日、トーマス・フリーマンがこの諸島のいずれかの島に、短時間ながら上陸した[3]。この島はおそらくボラデール島であり[3]、これによって南極圏内にはじめて人類が上陸したと考えられる[3](南極への上陸は1820年頃に南極半島付近で行われているが、これらは南極線以北である)。
「ヤング島」「ボラデール島」「バックル島」「スタージ島」「ブラウン・ピーク」などはバレニーによる命名で、いずれも探検航海に共同出資した商人たちの名である[3]。「バレニー諸島」という名は、バレニーの功績を讃え、イギリス海軍水路部長官 (Hydrographer of the Navy) フランシス・ボーフォートによって命名された[2]。「サブリナ島」の名は、この探検隊のカッターの名にちなんでいる[8]。
なお、この諸島の発見後バレニーらは西へ航海を行い、3月2日に南緯64度58分 東経121度08分 / 南緯64.967度 東経121.133度 / -64.967; 121.133の位置で[7]、東経117度付近にある南方の陸地[9]をわずかな時間望見する。ウィルクスランドの一部にあたるこの海岸は、サブリナ海岸と呼ばれることになる。 バレニーに次いでこの諸島を目にしたのは、1841年のジェームズ・クラーク・ロスである。ロスは、バレニーがもたらした情報から、東経170度から180度経線にかけての南極地域の探検を決意したのであった[7]。1841年3月上旬、ロス海を発見することになる航海の途次にロスはこの諸島を見、諸島の沖合で4日間を過ごした[3]。その後、この諸島は1850年代に2度望見されたあと(2度目のものは1853年にマーケイター・クーパーが南極からの帰途視認したものである)、1894年まで記録が途絶える[3]。 南極探検の「英雄時代」 (Heroic Age of Antarctic Exploration
発見以後
1936年、英国海軍の調査船ディスカバリー2世号 (RRS Discovery II) が立ち寄り、この諸島の調査を試みたが、上陸は断念されている[3]。第二次世界大戦後の1948年1月、アメリカ海軍のハイジャンプ作戦により、島の空撮が行われた[3]。