バルフ州
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バルフ州
???


.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度45分 東経67度0分 / 北緯36.750度 東経67.000度 / 36.750; 67.000座標: 北緯36度45分 東経67度0分 / 北緯36.750度 東経67.000度 / 36.750; 67.000
アフガニスタン
州都マザーリシャリーフ
政府
 ? 州知事Mohammad Farhad Azimi
面積[1]
 ? 合計16,186.3 km2
人口(2012)[2]
 ? 合計1,245,100人
 ? 密度77人/km2
等時帯UTC+4:30
ISO 3166コードAF-BAL
主要言語ダリー語
パシュトー語
トルクメン語
ウズベク語
座標は[3]

バルフ州(バルフしゅう、ペルシア語: ???‎[3][4])は、アフガニスタン北部のである。面積は1万6186平方キロメートル[1](34州中17位)、総人口は約124万人(34州中4位)[1]、人口密度は77人/平方キロ(34州中11位)[1]。州都はマザーリシャリーフ
地理州都マザーリシャリーフ茶色は標高1000メートル以上、白は標高3000メートル以上である

日本の岩手県より少し広い州である。州の北側は平地で、南側は高地になっている。殆どが荒地だが、バンディ・アミール湖を水源とするバルフ川が州の南北を流れており、その周辺のオアシスにだけ緑が広がっている。州都マザーリシャリーフはアフガニスタン屈指の大都市で、中央にはアリー・イブン・アビー・ターリブを祭ったブルーモスクがあり、参拝客を集めている。

バルフ州の北は国境であり、トルクメニスタンウズベキスタンタジキスタンに接している。西はジョウズジャーン州で、南の台地にサーレポル州サマンガーン州があり、東はクンドゥーズ州に隣接している。

バルフ州の北部は標高が高いアフガニスタンでは珍しく、標高500メートル以下[5] の平野になっている。州の北端には中央アジアの大河「アムダリヤ川」が流れており、川岸には緑が広がっている。その南はトルクメニスタンのカラクム砂漠から続く広大な砂漠があり、乾燥した荒野が続いている。しかし州の中央部を南北にバルフ川が流れており、東南からはホルム川が流れて来る。そのため流域にはオアシスがあり、マザーリシャリーフやバルフ、ホルムのような都市がある。その南は切立った屏風のような山脈になっていて、ヒンドゥークシュ山脈が始まる。特にバルフ川の東側には標高1000メートルから2000メートル[5] の険しい山脈があり、その中にはクマガー[3] と呼ばれる山があると言う。一方、西側の山脈は標高1000メートル以下[5] で、丘が折り重なるように続く盆地になっている[6]。またバルフ川沿いの渓谷は標高500メートル[5] で、ショールガラの街がある。その南はまた標高1000メートルから2000メートル[5] の険しい山脈になっている。

歴史
古代バクトラとシルクロード張騫の西征
莫高窟の323洞窟の壁画

バルフ州の古都バルフメソポタミア文明インダス文明を結ぶ交易路が通っていた為[7]オアシスの交易国家・都市国家として紀元前から繁栄していた。最初の古代都市は今から約3000年前のバクリ(ヴェーダ語: Bhakri)である。これは後のアラブ世界では「Mother of All Cities(英語版)」(Umm Al-Belaad)の名で呼ばれており、ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラが埋葬されたことでも知られている。年代については諸説あるが、ゾロアスター教の根本教典『アヴェスター』に登場するので少なくとも紀元前650年より前と考えられており[8]紀元前15世紀頃から紀元前13世紀頃という説もある[9]。紀元前6世紀にキュロス2世、紀元前4世紀にはアレクサンドロス3世が地域を征服し、その後グレコ・バクトリア王国の首都が出来た。バクリはギリシャ語化されてバクトラ(バクトリア語: Baktra)と呼ばれるようになり、ヘレニズム文化が花開いた。

中国との交流もこの頃に始まったようである。バクトラはローマ帝国を結ぶシルクロードのルートからやや外れていたので、中国に知られていなかった。しかし紀元前3世紀には大夏の名で知られるようになった。紀元前126年、中国の張騫が大夏の大月氏を訪れた事が司馬遷の『史記』に記されている[10]。7世紀には中国からインドに向かう途中の玄奘三蔵が訪れ、『大唐西域記』に「縛喝国」の滞在記と仏教信仰の様子、肆葉護可汗(しようこかがん)の逸話などを残した[11]
中世

バクトラはイスラムの侵攻後、バルフ(英語: Balkh、ペルシア語: ???‎ )と呼ばれるようになった。しかし1218年のモンゴル帝国の侵攻、1370年ティムールの侵攻(バルフ包囲戦 (1370年)(英語版))、1447年ティムール朝の内戦(バルフ包囲戦 (1447年)(英語版))によりバルフは破壊され、東に20kmほど離れたマザーリシャリーフに寺院を中心とした新しい街が出来て、中心地が移った。ちょうどこの頃、マルコ・ポーロイブン・バットゥータがバルフを訪れた。
独立後

1921年、第三次アフガン戦争の勝利によりアフガニスタンはイギリスから独立した。1933年、国王ザーヒル・シャーが即位した。
冷戦時代

第二次世界大戦後、アフガニスタン首相のモハマド・ダーウド・ハーンソビエト連邦アメリカ合衆国の力を借りて、国内の開発を行おうとした。当初は乗り気ではなかった両国だったが、冷戦対立の下で1950年代後半から本格的な支援を始めた。アメリカはクンドゥーズ空港やマザーリシャリーフ空港、ヘルマンド州のカジャキ・ダムの建設などを支援し、ソビエト連邦はカンダハール・ヘラート間の道路やバグラーン州のプレフムリー・マザーリシャリーフ間の道路、シバルガン・ガスパイプラインの建設などを支援した[12]。なおバフル州は1950年頃はマザーリ・シャリーフ州と呼ばれており現在よりも大きな州だったが、1958年頃にシェベルガーン州を新設し、一部を移譲した[13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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