バルビツール酸系(バルビツールさんけい、Barbiturate、バルビツレート)は、鎮静薬、静脈麻酔薬、抗てんかん薬などとして中枢神経系抑制作用を持つ向精神薬の一群である。構造は、尿素と脂肪族ジカルボン酸とが結合した環状の化合物である。それぞれの物質の薬理特性から適応用途が異なる。バルビツール酸系は1920年代から1950年代半ばまで、鎮静剤や睡眠薬として実質的に唯一の薬であった[1]。
1903年にバルビタールが合成され人気を博し、1912年には効果が長いフェノバルビタールが合成された[2]、1923年にはアモバルビタール、1930年にペントバルビタールと合成が続いた[1]。1960年代には、危険性が改良されたベンゾジアゼピン系が登場しバルビツール酸に代わって用いられることとなった。麻酔やてんかんを除き、当初の鎮静催眠薬としてのバルビツール酸系の使用はもはや推奨されていない[3]。医師の幇助による安楽死、死刑執行、動物の安楽死にも用いられるが[3]、アメリカではチオペンタールが製造停止されており[4]、欧州連合 (EU) による死刑制度停止の使命と相まって[4]、入手が困難となっている[5]。
バルビツール酸系の薬は治療指数が低いものが多く、過剰摂取の危険性を常に念頭に置かなければならない[3]。
乱用薬物としての危険性を持ち、向精神薬に関する条約にて国際的な管理下にある[3]。そのため日本でも同様に麻薬及び向精神薬取締法にて管理されている。 バルビツール酸系の登場以前、1832年に抱水クロラールが合成され、近代的な睡眠薬の歴史がはじまった[2][1]。1869年には不眠症に有効だったと報告され[1]、演劇や小説に登場するようになる[2]。その後、臭化物も同様の注目を集めたが、毒性が強かった[2]。20世紀初頭にはバルビツール酸系が合成されるに至る。 バルビツール酸系は1920年代から1950年代半ばまで、鎮静剤や睡眠薬として実質的に唯一の薬であった[1]。 1903年には、ドイツの化学者エミール・フィッシャーとヨーゼフ・フォン・メーリング
歴史
バルビタールを合成し、臭化物のような酷い味がなく治療域が有毒域に近くないという点で新たな鎮静剤となり、バイエル社からベロナール、シェリング社からメディナールとして販売された。1904年には、ヘルマン・フォン・フーゼンが患者に試し、私立のクリニックで用いられるようになった[2]。公立のアサイラムではより安価な臭化物などが用いられた[2]。
人気を博し成功した後、バルビツール酸系の薬は数多く合成された[2]。発売されていないものも含むと2500種類にのぼる[1]。1911年にフェノバルビタールが合成された[1]。1912年には[1]、バイエル社は、効果が長いフェノバルビタールを商品名ルミナールとして発売した[2]。