「バルト・フィン諸語」とは異なります。
バルト語派
話される地域バルト海南東岸
言語系統インド・ヨーロッパ語族
バルト・スラヴ語派
バルト語派
下位言語
西バルト語群
東バルト語群
ISO 639-5
バルト語派(バルトごは、英: Baltic languages、リトアニア語: Balt? kalbos、ラトビア語: Baltijas valodas) とは、インド・ヨーロッパ語族バルト・スラヴ語派の一派で、バルト海東南岸付近に分布する。リトアニア語とラトビア語がバルト語派に属する。死語となった古代プロイセン語(古代プロシア語)もこれに含まれる。
現在使われているインド・ヨーロッパ語の中で古い特徴を最もよく残していると言われる。
スラヴ語派と最も近い関係にある。両者の間に単純に共通基語があったという説を否定、スラヴ共通基語成立以前にバルト語内部に分化が生じ、スラヴ語と西バルト語が近かったとされる仮説がソヴィエト連邦崩壊前後の1991年ごろリトアニアやラトビアで盛んに唱えられたが、その後の研究によってこの説は否定されている[1]。
分類(フランス語版)(死語)
ガリンディア語(死語)
スカロヴィア語(フランス語版)(死語)
スドヴィア語(もしくはヤトヴィンギア語、死語)
東バルト語群
リトアニア語
サモギティア語 (一般的にはリトアニア語の方言とされる)
ラトビア語
ラトガリア語 (一般的にはラトビア語の方言とされる)
古クロニア語(英語版)(死語)
セロニア語(死語)
セミガリア語(死語)
歴史西暦1200年頃、ドイツ騎士団が到来する直前のバルト諸族の分布図。バルト諸族の領域は内陸部まで広がっていた。
バルト語派は証明の遅さにもかかわらず、現存するインド・ヨーロッパ語族の中で最も保守的な言語のひとつであると考えられている。
バルト語の存在を最初に証明できるのは、1369年頃、バーゼルの古プロイセン語で書かれた二行のエピグラムである。リトアニア語は、1547年に出版されたマルティナス・マジュヴィダス(英語版)のカテキズムが最古のものとなる。ラトビア語のカテキズムは1585年に出版されている[2]。
他の語派に比べ証明が遅れた理由として、バルト海沿岸の民族が他のどのヨーロッパ諸国よりも長くキリスト教化に抵抗したため、文字の導入が遅れ、言語的に隔離されたことが挙げられる。
プロイセンにドイツ人の国家が成立し、ゲルマン語を話す入植者(や少数のスラブ語話者)が大量に流入すると、プロシア人は同化し始め、17世紀末にプロシア語は消滅した。
ポーランド分割の後、バルト海沿岸のほとんどの地域はロシア帝国の支配下に置かれ、帝国が推し進めるロシア化によって土着の言語を書き記すことや、公の場で使用することが禁止されることもあった[3]。
地理的分布バルト三国の簡略的な言語分布
現代のバルト諸語の話者は、一般にリトアニアとラトビアの国境内、およびアメリカ、カナダ、オーストラリア、旧ソ連の国境内の国々の移民社会に集中している。
歴史的にバルト語は現在より広い地域で話されていた。西は現在のポーランドのヴィスワ川河口まで、東は少なくとも現在のベラルーシのドニエプル川まで、恐らくはモスクワまで、そして南はキーウまで話されていたと思われる。