構成国 エストニア
ラトビア
リトアニア
首都タリン
リガ
ヴィリニュス
公用語エストニア語
ラトビア語
リトアニア語
面積175,015 km2
人口(2010年)6,827,351 人
GDP (PPP)(2010年)1081 億 USドル
一人あたりのGDP (PPP)(2010年)15,665 USドル
名目GDP(2010年)745 億 USドル
一人あたりの名目GDP(2010年)10,792 USドル
位置図、バルト海に面して北からエストニア、ラトビア、リトアニア、カリーニングラード州(ロシアの飛び地)、ポーランド。
バルト三国(バルトさんごく、英: Baltic states、Baltic countries、露: Прибалтика、独: Baltische Staaten、波: Kraje ba?tyckie)は、バルト海の東岸、フィンランドの南に南北に並ぶ3つの国を指し、北から順に、エストニア、ラトビア、リトアニアである。3か国ともに、北大西洋条約機構(NATO)・欧州連合(EU)および経済協力開発機構(OECD)の加盟国、シェンゲン協定加盟国である[1][2]。通貨は三国ともユーロである[3]。
三国は、ロシア帝国とソビエト連邦にそれぞれ支配され統治・併合された時期があるものの、歴史的にはエストニアやラトビアは北ヨーロッパ諸国やドイツと、リトアニアはポーランドとのつながりが深く、また3か国はロシアとも深く関わってきた。バルト三国のうちエストニアとラトビアはロシア本土と、リトアニアはロシアの飛び地であるカリーニングラード州と、それぞれ接している。 ロシア帝国に設置された「沿バルト諸県」とは現在のエストニアとラトビアにあたる地域であり、リトアニアに相当する地域はそこに含まれていなかった[4]。リトアニアも含めた3カ国が「バルト」という一つの地域とみなされるようになったのは、いずれの国も第一次世界大戦後にロシアからの独立を果たし、第二次世界大戦中にソ連に編入されたという共通の歴史をたどったためである[4]。それまではエストニアおよびラトビアとリトアニアとでは異なる歴史をたどってきたと考えられていたが、1970年にバルト・ドイツ人の歴史家ゲオルク・フォン・ラオホ エストニア人は、フィン人と近縁の民族で、エストニア語はフィンランド語と同じウラル語族である。一方、ラトビア人とリトアニア人はバルト系民族(印欧語族バルト語派の話者)である。リトアニアが独自の文化を築いて来たのに比べ、ラトビアはリヴォニアを基礎としていたため、民族の覚醒は19世紀に起こる。これら別個の文化を共通化、また自立化させたのは、中世以来政治的支配を行ってきた少数民族のバルト・ドイツ人であった。 三国の宗教事情は大きく異なる。リトアニアは過去に同一の王国を形成したポーランドの影響を深く受けたため、国民のほとんどはローマ・カトリックの信者である。ラトビアではプロテスタントのルター派が多い[5]。エストニアでは国民の半数以上が無宗教である[6]。 バルト三国を構成する国々は一つにくくられて語られがちではあるが、近代までの三国は別々の歴史を歩んできている。
バルト地域概念の移り変わり
民族
宗教
歴史
近代まで
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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