バルタザール・ヨハネス・フォルスター
Balthazar Johannes Vorster
南アフリカ共和国
第8代首相
任期1966年9月13日 – 1978年10月2日
南アフリカ共和国
第4代大統領
任期1978年10月10日 – 1979年6月4日
出生1915年12月13日
南アフリカ連邦東ケープ州オイテンハーヘ
死去1983年9月10日(1983-09-10)(67歳)
南アフリカ共和国ケープタウン
政党国民党
バルタザール・ヨハネス・フォルスター(Balthazar Johannes Vorster、1915年12月13日 - 1983年9月10日)は、南アフリカ共和国の政治家。1966年から1978年まで首相を務め、その後1978年から1979年には大統領に就任した。
フォルスターは東ケープ州に生まれ、ステレンボッシュ大学に進学。第二次世界大戦中は、ブルームフォンテーンの極右団体である牛車の番人
(英語版)で活動してナチス・ドイツやアドルフ・ヒトラーを支持し、1942年に逮捕された。1944年に釈放後、1948年に国民党に入党し、1953年に初当選。党内では極右派に属し、ヘンドリック・フルウールト政権では法相を務めた。1966年にフルウールトが暗殺されると、議会によって9月13日に後継の首相に選出された。フォルスター政権は前政権の政策をほぼ継承し、アパルトヘイトを高圧的に推し進めた。国内各地にバントゥースタンが建設され、すべての黒人はいずれかのバントゥースタンに属することとなった。黒人との「分離発展」を推し進めるという名目で1976年にトランスカイなど4つのバントゥースタンを「独立」させたものの、国際社会はこれを認めず、世界から孤立を続けた。
また、ピーター・ウィレム・ボータを国防大臣に任命し、南部アフリカ各地で成立していた共産政権を打倒するため、アンゴラとモザンビークの反政府勢力を援助させた。南アフリカと同様の人種差別政策をとるローデシア政府も友好国として支援した。
1976年6月16日、学校でのアフリカーンス語強要に対する反対からソウェト蜂起が起き、フォルスターは軍を出してこれを鎮圧。国際的な批判を浴びた。
1978年、フォルスターは首相の座をボータに譲り大統領に就任したが、翌年に欧米諸国に対する秘密工作費の出所や使途に対してスキャンダルが噴出(ムルダーゲート事件(英語版))し、1979年6月に辞任を余儀なくされた。
1983年、67歳でこの世を去った。
先代:
ヘンドリック・フルウールト 首相
第8代 : 1966年 - 1978年次代:
ピーター・ウィレム・ボータ
先代:
マレー・フィリューン(代行) 大統領
第5代 : 1978年 - 1979年次代:
マレー・フィリューン
更新日時:2019年2月19日(火)01:54
取得日時:2019/09/04 02:15