バルタザール・ド・ボージョワイユー
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『王妃のバレエ・コミック』の一場面。

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バルタザール・ド・ボージョワイユー(Balthasar de Beaujoyeulx、またはBalthasar de Beaujoyeux、16世紀初頭 - 1587年頃)は、イタリア出身のヴァイオリニスト作曲家振付家演出家である。フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスに仕え、最初の宮廷バレエバレ・ド・クール)と評価される『王妃のバレエ・コミック(英語版)』などを振り付けたことなどで舞踊史に名を遺した[1][2]
目次

1 生涯

2 脚注

3 参考文献

4 外部リンク

生涯

本名をバルタザーレ・デ・ベルジオジョーゾ(Baldassare de Belgiojoso)といい、16世紀初頭(一説では1535年)[3]にイタリアのピエモンテ地方で生まれた[4][5]。彼は卓越したヴァイオリンの名手として知られていた[3]。同時代の歴史家、著作家として知られるピエール・ブラントーム(en:Pierre de Bourdeille, seigneur de Brantome、1540年頃 - 1614年7月15日)は、「キリスト教国における最も優れたヴァイオリニスト」という評価を与えている[6]。ボージョワイユーはフランス王アンリ2世王妃カトリーヌ・ド・メディシスに仕えるため、1555年にフィレンツェから派遣された楽団の一員となってパリに出た[1][3][6][7][8][9][10]。彼は王妃の2人の子の音楽教師となり、宮廷内での趣向を凝らした催し物の制作に手腕を発揮した[1][2]。1567年、王太后となったカトリーヌはボージョワイユーに宮廷の音楽監督と首席従者の地位を与え、国王シャルル9世は宮廷主催の催し物の演出者に任じている[11]

ボージョワイユーは1573年に開催された仮面舞踏会『楽園の守り』(Defense du paradis)の制作に関わり、1573年には『ポーランド外交使節たちのバレエ』(Ballet aux ambassadeurs polonais)を振り付けた[1][2][12][10][13]。『ポーランド外交使節たちのバレエ』は、カトリーヌの息子のアンジュー公アンリ(後にヴァロア朝最後のフランス国王アンリ3世として即位する)にポーランド王位を提供するためにフランスを訪問した使節団を歓待する目的で開催された催し物で、最初に「バレエ」と銘打った作品とされる[1][6][10][14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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