バルカン半島
[Wikipedia|▼Menu]

バルカン半島エンサイクロペディア・ブリタニカが示すバルカン諸国。
  ドナウ川サヴァ川イゾンツォ川を境界としたバルカン半島の地図。.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 通常、バルカン諸国に含まれる政治的コミュニティ[要出典]。
 しばしばバルカン諸国に含まれる政治的コミュニティ[要出典]。
地理
場所東南ヨーロッパ
最高標高2,925 m (9596 ft)
行政
以下を参照
人口統計
住民の呼称バルカン
テンプレートを表示

バルカン半島(バルカンはんとう、Balkan Peninsula)、またはバルカン(Balkans)は、東南ヨーロッパにある地理的領域であり、地理的・歴史的に様々な意味合いと定義付け[1][2]の下で使用される概念である[3]。名称はバルカン山脈からきている。この山脈はセルビアブルガリアの国境から黒海沿岸まで、ブルガリア全土を横断している。バルカン半島は北西をアドリア海に、南西をイオニア海に、南と南東をエーゲ海に、そして東と北東を黒海によって区切られている[4]。北側の境界は論者と文脈によって様々に定義されていて不定である。バルカン半島の最高地点はリラ山地(英語版)にあるムサラ山(2925メートル)である。

バルカン半島という概念はドイツの地理学者アウグスト・ツォイネ(英語版)によって1808年に創り出された[5][6]。彼はバルカン山脈ディナル・アルプス山脈と共にアドリア海から黒海まで東南ヨーロッパを区分していると誤認していた[5]。この地域はかつてオスマン帝国の属領であり、バルカン半島という用語は19世紀にはヨーロッパ・トルコ(European Turkey)の同義語であった[7]。バルカン半島という言葉は地理学的というよりもむしろ地政学的定義を持っており、この傾向は20世紀初頭にユーゴスラヴィア王国が成立するとさらに増した。バルカン半島を定義する自然境界が「半島」の学術的定義と一致していないため、現代の地理学者は「バルカン半島」という考え方を拒絶しており、通常はバルカンを「地域」として議論を行っている。この言葉には(特に1990年代以降)バルカニゼーション(バルカン化)のプロセスと関連して徐々に否定的・侮蔑的意味合いを含むようになっており[4][8]、そのために東南ヨーロッパ(南東ヨーロッパ)という別の用語が使用されている。
名称
地名学

バルカン(Balkan)という言葉はオスマン語のbalkan(森深い山の連なり)から来ている[9][10]。これに関連する用語は他のテュルク系言語でも見られる[11]。このテュルク語の単語の語源ははっきりしないが、恐らくペルシア語のb?lk(泥)とテュルク語の接尾辞an(湿地の森)[12]、またはペルシア語のbal?-kh?na(巨大で高い家)[13]と結びつけられるだろう。
歴史的地名と意味
古典古代と中世初期

古典古代から中世までを通じて、バルカン山脈は現地のトラキア語[14]であるハイモスという名前で呼ばれていた。ギリシャ神話によれば、このトラキアの王ハイモスはゼウスによって罰として山に変えられ、その山に彼の名前が残されたという。語源説も提案されており、D. Dechevはこのハイモス(Haimus、Α?μο?)はトラキア語の*saimon(山の尾根)から派生したと主張している[15]。ハイモスがギリシャ語のhaima(α?μα、血液)から派生したという説もある。この神話はゼウスと怪物/巨人のテュポーンとの戦いに関するもので、ゼウスは雷撃によってテュポーンを負傷させ、その血が山の上に落ちたため、血を意味する単語から山の名前がつけられたという[16]
中世後期とオスマン帝国時代


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:197 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef