2002年バリ島爆弾テロ事件
慰霊碑
場所 インドネシア バリ
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯8度43分02秒 東経115度10分27秒 / 南緯8.71722度 東経115.17417度 / -8.71722; 115.17417
2002年バリ島爆弾テロ事件(2002ねんバリとうばくだんテロじけん)は、2002年10月12日インドネシアのバリ島南部で発生したテロ。 2002年10月、バリ島南部の繁華街クタで、路上に止めてあった自動車爆弾が爆発、向かいのディスコ(サリクラブ)など多くの建物が吹き飛んで炎上し、外国人観光客を含む202名が死亡した。犯行声明は無かったが、インドネシア当局は国内のイスラム過激派「ジェマ・イスラミア」(Jemaah Islamiyah、通称JI)幹部の多数を犯行容疑で拘束した。世界有数の観光地で発生したテロは衝撃を与えた。 この爆弾テロによる被害者は21ヶ国の外国人観光客に及び、88名のオーストラリア人、38人のインドネシア人、28人のイギリス人を含んだ[1]。2008年11月9日、インドネシア政府は実行犯3名の死刑を執行した。現地近くには犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑が建てられ、毎年10月12日に慰霊祭が行われている[2]。 インドネシアでは他にも、2003年8月に首都ジャカルタで米国系の高級ホテルが爆発して12名が死亡、2004年には市内のオーストラリア大使館が爆発して9名が死亡、2005年10月1日、クタのレストランで1人と、ジンバランの海岸レストランで2人が自爆テロを起こし、20名以上が死亡したなど、外国人や外国施設を目標とした爆破テロが続いて発生しており、これら全てにJIが関与したと考えられている。背景には、アメリカやイギリスの進める対テロ戦争(イラク戦争)に対してインドネシア国内での反発があり、表立って反対しない同国政府に対して、市民の不満が募っていることも関連があると見られている。 2022年10月12日、バリ島デンパサールのオーストラリア領事館で、事件発生20年の節目として追悼行事が行われた[3]。
概要
脚注^ “The 12 October 2002 Bali bombing plot”
^ “テロ慰霊碑”. バリ島の観光スポット. バリ島総合情報サイト バリ島ドットコム. 2019年2月18日閲覧。
^ “バリ爆弾事件から20年、追悼式典に遺族ら参列 インドネシア”. AFP (2022年10月12日). 2022年11月22日閲覧。
関連項目
バリ島爆弾テロ事件 (2005年)
不朽の自由作戦
アフガンにおける不朽の自由作戦
フィリピンにおける不朽の自由作戦
アフリカの角における不朽の自由作戦
トランス・サハラにおける不朽の自由作戦
その他
イラク戦争
ワジリスタン紛争
タイ深南部紛争
レバノン侵攻
ガザ紛争 (2008年-2009年)
ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害
生来の決意作戦
ロシア連邦航空宇宙軍によるシリア空爆
ロシア軍爆撃機撃墜事件
アイマン・ザワーヒリーの殺害
テロ攻撃
2001年 - 2004年
アメリカ同時多発テロ事件
バリ島爆弾テロ事件 (1)
スペイン列車爆破事件
イラク日本人人質事件
イラク韓国人会社員殺害事件
イラク日本人青年殺害事件
2005年 - 2008年
ロンドン同時爆破事件
バリ島爆弾テロ事件 (2)
2005年アンマン自爆テロ
ムンバイ列車爆破事件
パキスタン・モスク立てこもり事件
2007年ターリバーン韓国人拉致事件
アフガニスタン日本人拉致事件
2008年デンマーク大使館爆発事件 (パキスタン)
イスラマバード・マリオット・ホテル爆破テロ事件
ムンバイ同時多発テロ
2008年 - 2014年
2010年ストックホルム爆破事件
モスクワ地下鉄爆破テロ (2010年)
アレクサンドリア自爆テロ
ドモジェドヴォ空港爆破事件
2012年アメリカ在外公館襲撃事件
ミディ=ピレネー連続銃撃事件
アガデスとアーリットの襲撃
ケニアショッピングモール襲撃事件
アルジェリア人質事件
ブッダガヤ爆弾テロ事件
2014年シドニー人質立て籠もり事件