バリー・ウインダム
Barry Windham as "The Stalker" in 1996
プロフィール
リングネームバリー・ウインダム
ブラックジャック・マリガン・ジュニア
ダーティー・イエロー・ドッグ
ザ・ウィドウメイカー
ザ・ストーカー
ブラックジャック・ウインダム
本名バリー・クリントン・ウインダム
ニックネーム蒼き狼[1]
身長198cm
体重125kg(全盛時)
誕生日 (1960-07-04) 1960年7月4日(60歳)
出身地 アメリカ合衆国
テキサス州
ノーラン郡スウィートウォーター
トレーナーブラックジャック・マリガン
ハーリー・レイス
デビュー1980年1月7日
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バリー・ウインダム(Barry Clinton Windham、1960年7月4日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州スウィートウォーター出身。父親はブラックジャック・マリガン、弟はケンドール・ウインダム、息子はジェシー・ウィンダム。ディック・マードックは義理の叔父、マイク・ロトンドは義兄弟にあたる。
父親譲りの長身の持ち主だが、大型ラフファイターだったマリガンとは対照的に、インサイドワークを駆使する技巧派として活躍した[1]。1980年代から1990年代を全盛期に、NWA、WCW、WWFなど各メジャー団体で実績を残している[2]。目次 父ブラックジャック・マリガンのトレーニングのもと、1980年1月にエディ・グラハムが主宰するNWAフロリダ地区のCWFでデビュー。金髪と長身、そして甘いマスクを持ったベビーフェイスの新鋭として売り出され、同年には早くもバグジー・マグロー、ミスター・サイトー、スーパー・デストロイヤーらを破り、同地区認定のTV王座を通算3回獲得した[2]。 以降もCWFを主戦場に、ダスティ・ローデスやマリガンとのタッグで活躍。シングルでは1981年1月12日にドリー・ファンク・ジュニアからフロリダ・ヘビー級王座を奪取し[3]、1982年12月18日にはグレッグ・バレンタインを下し南部ヘビー級王座を獲得[4]。1980年代前半はリッキー・スティムボート、ポール・オーンドーフ、ケリー・フォン・エリック、ブッチ・リードらと共に、次期NWA世界ヘビー級王者候補の一人として期待を集めた。 1983年11月、全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦にロン・フラーとの2メートル・コンビで初来日[5]。キャリア不足もあって勝ち星には恵まれなかったものの、リッキー・スティムボート以来の初来日選手に対するコールが起こった。なお、来日第1戦となる開幕戦(大阪府立体育館)で対戦し、リーグ戦の優勝チームとなったスタン・ハンセンとブルーザー・ブロディの両者は、ジョージアやテキサスなどアメリカ南部におけるブラックジャック・マリガンのライバルでもあった。 1984年10月、フロリダでのタッグパートナーだったマイク・ロトンドと共にWWFと契約。ロトンドとのタッグチームはUSエクスプレス(The U.S. Express)と名付けられ、1985年1月21日にはノース・サウス・コネクション(ディック・マードック&アドリアン・アドニス)を破り、WWF世界タッグ王座を獲得した[6]。同年3月31日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたレッスルマニア第1回大会にてアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフに敗れ王座から陥落するも、6月17日に奪還に成功[6]。しかし、8月24日にドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)にタイトルを奪われ、同年10月にWWFを離脱した[7]。 1986年1月、ロトンドとのコンビで全日本プロレスに再来日[8]。その後は古巣のフロリダを経て、同年末よりジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区(ジム・クロケット・プロモーションズ)に定着、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に再三挑戦した[9]。1988年3月にはフォー・ホースメンを脱退したレックス・ルガーと組んでアーン・アンダーソン&タリー・ブランチャードからNWA世界タッグ王座を奪取するが[10]、数週間後にルガーを裏切ってヒールに転向、ルガーと入れ替わる形でフォー・ホースメンの新メンバーとなった[2]。
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
来歴