バリツ
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バリツ (baritsu) は、イギリスの小説家アーサー・コナン・ドイル推理小説空き家の冒険」(1903年)で「シャーロック・ホームズシリーズ」に初めて登場する架空の日本武術

柔道を指す」という解釈が一般的だが、「武術(bujitsu)」説、「バーティツ(bartitsu)」説などの異論もある。
概要

1894年の『最後の事件』で、「シャーロック・ホームズは、宿敵のジェームズ・モリアーティ教授とスイスライヘンバッハの滝で揉み合いになった末、2人とも滝壺に落ちた」ということになった。しかし、ドイルはファンの要望に応えて続篇を書くことになり、「ホームズは死んでいなかった」ということにする必要が生じた。そこで、「自分(ホームズ)には「バリツ」という日本式の格闘技の心得があって[1]、それでモリアーティ教授を投げ飛ばしたのだ」、と『空き家の冒険』の中でワトソンに説明している。

訳者によっては馬術と表記されている版すらあるが、「バリツとは柔道柔術)」が通説となっている。明治期には講道館柔道も柔術流派の一つと見なされ[2]、講道館出身者も「柔術家」を自称していた[3][4]。なお純粋な戦闘技術としての「柔術」と心身の鍛錬や教育的効用を重視する武道としての「柔道」を明確に区別するようになったのは第二次世界大戦後とされる[5]

2014年のテレビドラマ『SHERLOCK』ではシーズン2の『ベルグレービアの醜聞』において壁に掛けられた講道館の黒帯証明書が登場し、『空き家の冒険』に相当するシーズン3『空の霊柩車』では「Japanese Wrestling[6]」により助かったと説明している。

これにちなみ、後世の作品では探偵の得意技として「バリツ」が取り上げられることもある[7][8][9][10]
バリツの正体
「武術(bujitsu)」誤記説

1950年には、江戸川乱歩吉田健一などを発起人として、ベーカー・ストリート・イレギュラーズの東京バリツ支部が結成された。発会式では、牧野伸顕(吉田健一の祖父、吉田茂の岳父)の「バリツの起源」に関する論文が朗読された。牧野によれば、ホームズは「僕は日本式レスリングを含むブジツ(武術)の心得がある」と言ったのであって、ワトスンは「bujitsuをbaritsuと間違えたのだ」という。
「バーティツ(bartitsu)」誤記説詳細は「バーティツ」を参照バーティツの構え(中央がバートン=ライト本人)

1899年9月に日本に滞在していたエドワード・ウィリアム・バートン=ライトというイギリス人が、日本人の谷幸雄を伴って1900年9月頃帰国し、「日本の柔術に、ステッキ術と打撃技を合わせた護身術」を"bartitsu"(バーティツ:バートン流柔術の略)と名付けてロンドンで教えており、『ピアスンズ・マガジン(英語版)』に記事を掲載していた。同誌にはドイルも小説を掲載していたため、その記事を読んでいた可能性は高く、「"baritsu"とは"bartitsu"の誤記である」とする説がある(または著作権を考慮して綴りを変えたとも)。

この説を補強する材料として、1901年8月23日付のロンドン・タイムズ紙に記載されたbartitsuのデモンストレーション紹介文(「Japanese Wrestling at the Tivoli[11](チボリでの日本のレスリング)」)中にてbaritsuとの誤記が発見されている[12]

またドイルの友人で1887年からお雇い外国人技師として来日していたウィリアム・K・バートンとの文通により、日本に関する知識がもたらされており[13]1925年発表の『高名な依頼人』では「聖武天皇」と「奈良正倉院」が話題として登場している。

日本では、大槻ケンヂが自身のエッセイ『地上最強の格闘技バリツとシャーロック・ホームズの謎』で「バリツ=バーティツ」説を述べ[14]、それを基にした短編小説の発表なども行っている。

なお後にバーティツは商業的に失敗し、教える者がいなくなって久しかったが、2002年に国際協会のバーティツ・ソサエティが設立されて以後は復活を果たしている[15]
「最後の事件」の挿絵ホームズとモリアーティ教授の格闘(シドニー・パジェット画、「ストランド・マガジン」掲載の挿絵)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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