「バラクーダ」
ハート の シングル
初出アルバム『リトル・クイーン
Dreamboat Annie
(1976年)Barracuda
(1977年)Little Queen
(1977年)
ミュージックビデオ
"Barracuda" - YouTube
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「バラクーダ」(Barracuda) は、アメリカ合衆国のロック・バンド、ハートが、1977年に3枚目のアルバム『リトル・クイーン (Little Queen)』でリリースした楽曲で、このアルバムからのリード・シングルとなった。この曲は、Billboard Hot 100 で最高11位となった。「バラクーダ」は、2009年にVH1が選んだ「史上最高のハードロック楽曲 (Best Hard Rock Song of All Time)」で34位に入った[2]。
この曲は、コンピレーション・アルバムでは、『Greatest Hits/Live』(1980年)、『These Dreams: Greatest Hits』(1997年)、『Greatest Hits』(1998年)、『The Essential Heart』(2002年)、『Love Alive』(2005年)、『Playlist: The Very Best of Heart』(2008年)、『Strange Euphoria』(2012年)に収録されており、ライブ・アルバムでは、『Rock the House Live!』(1991年)、『The Road Home』(1995年)、『Alive in Seattle』(2003年)、『Live in Atlantic City』(2019年)で取り上げられている。 アン・ウィルソンは、インタビューの中で、この曲の歌詞が、宣伝目的の設定としてアンと妹ナンシーの近親相姦の噂をでっち上げたマッシュルーム・レコード
由来
歌詞
音楽プロデューサーのマイク・フリッカー(英語版)は、加えて、マッシュルーム・レコードとの契約が悪辣なもので、ハートは制作していたアルバム『Magazine』の完成を断念せざるを得ず、レーベル側は非公式盤として販売を要項するなどしたため、新たに設立されたポートレイト・レコード(英語版)と契約して、新たなアルバム『リトル・クイーン』を制作することになったのだと述べている。フリッカーによれば、「「バラクーダ」という曲はレコード業界のクソみたいなところから着想されたものなんだ。バラクーダとは、地方の宣伝マンでも、レコード会社の社長でも、誰もが当てはまる。それがバラクーダなのさ。この曲は実際の体験から生まれているんだ」という[4]。 ギア・ファクター (Gear Factor) による2019年3月のインタビューの中で、ナンシー・ウィルソンは、「バラクーダ」のギター・リフは、ジョニ・ミッチェルの「ディス・フライト・トゥナイト (This Flight Tonight
音楽
私たちはヨーロッパでナザレスの前座をやっていたのよ、あとクイーンのもね。ナザレスはジョニ・ミッチェルの曲のカバーで(1973年に)ヒットさせていた「ディス・フライト・トゥナイト」っていう曲の感じのリフ。
それで、拝借した感じ。そこから「バラクーダ」を作っていったの。後になってナザレスの連中が「俺たちのリフを盗みやがった」って怒ってたけど。
でも、これは誰でもやってることよ、大好きなものから拝借して、自分自身のものにするの。この曲もそうしてできたサウンドのひとつ。ギターの音色にしてもいまだに自分たちが何をやって作ったのかわからないくらい。<笑> 再現するのは難しいのよ。[5] 「バラクーダ」は、レビューでヘヴィメタルやハードロックに分類されてきた[6]。この曲はリリースされるや、ハートにとって2曲目のアメリカ合衆国でトップ20入りしたヒットとなり、Billboard Hot 100 で最高11位となり、20週間チャートにとどまった[7]。 『キャッシュボックス』誌は、「アグレッシヴなロックする曲で、きらびやかなプロダクションと、アン・ウィルソンの魅力的なリードボーカルが盛り上げる」と評した[8]。『Record World 「バラクーダ」は、2008年共和党全国大会
評価
2008年共和党全国大会における使用
この曲の共作者のひとりで、リードギターのロジャー・フィッシャー(英語版)は、シアトルで開催されたトークショーに登場して、共和党全国大会でこの曲が使われたことに興奮したとし、バンドにロイヤルティーが入る上、彼自身が「断固とした」バラク・オバマの支持者であることを公言する好機にもなるからだと述べた[12]。やはり共作者で、レコーディング当時のバンドのドラマーであったマイケル・デロージャー (Michael Derosier) も、共和党全国大会における楽曲の使用を支持した[13]。ナンシー・ウィルソンは、『エンターテインメント・ウィークリー』誌に、「サラ・ペイリンの見解や価値観は、我々アメリカ女性を代表するものではない」とする声明を出したが、マケイン陣営は、その後もこの曲を使用し続けた[11][14]。 『リトル・クイーン チャート(1977年)最高位
パーソネル
アン・ウィルソン ? リードボーカル
ナンシー・ウィルソン ? アコースティック・ギター
ロジャー・フィッシャー ? リードギター
ハワード・リース(英語版) ? リードギター、メロトロン
スティーヴ・フォッセン(英語版) ? ベース
マイケル・デロージャー ? ドラムス
チャート
週間チャート
オーストラリア (ケント・ミュージック・レポート)[16]15
オーストリア (O3 Austria Top 40)[17]16
ベルギー (Ultratop 50 Flanders)[18]30
カナダ トップシングルス (RPM)[19]2
オランダ (Tipparade