バブル崩壊
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この項目では、1990年代の日本のバブル崩壊について説明しています。経済現象一般については「バブル経済」をご覧ください。
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バブル崩壊(バブルほうかい)では、日本バブル期バブル景気)が1990年代初頭に終了したこと[1]、並びにその後に続いた不況(失われた○年[2]とも)について扱う。
要因

1989年5月から1年3か月の間に5回の利上げが実施され、2.5%だった公定歩合は6%台まで引き上げられた[3]マネーサプライの増加率は、1990年には11.7%、1991年には3.6%、1992年には0.6%となっている[4]。ただし、マネーサプライ増加率の減少はマイナスになるほどのものではなかった。

政府は、日銀の公定歩合の急激な引き上げに続き、不動産の総量規制地価税の創設、固定資産税の課税強化、土地取引きの届け出制、特別土地保有税の見直し、譲渡所得の課税強化、土地取得金利分の損益通算繰り入れを認めないなどの対策を打ち出していった[5]

西村吉正は「資産価格の高騰で国民の間に格差ができた。だからバブル潰し・正常化が最大の課題だというのが当時の多くの人たちの認識だった」と述べている[6]。1992年から2002年までの長期停滞の原因について[7]、研究機関や学者などが多くの研究成果を発表している。停滞の具体的な要因として、浜田宏一堀内昭義・内閣府経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』(2004)では、仮説を以下のように分類している[8]

構造問題説

日本的経営の問題

投資の歴史的な停滞



財政政策要因説

財務省緊縮財政(1989年の消費税導入、景気が回復基調に転じた時点での消費税率引き上げ、社会保険料の負担増など)

政府の債務償還による政府支出の乗数効果低下



金融政策要因説

金融政策の失敗[9]

資産価格の著しい低下(資産デフレ)による、バランスシートの悪化

日本銀行量的金融緩和政策の不徹底や物価動向に逆行する政策金利の引上げ(速水優総裁の主導によるデフレーション下のゼロ金利政策解除)



銀行機能低下要因説

不良債権の先送り[9]

大手金融機関山一證券三洋証券北海道拓殖銀行日本長期信用銀行日本債券信用銀行など)の経営の失敗


展開
1990年代・失われた10年

1990年3月27日、土地バブル潰しのため大蔵省より「土地関連融資の抑制について」いわゆる総量規制が通達され、日銀も引き締めに動き、これがバブル崩壊の引き金となったとされる[10][11]

日経平均株価については、1989年(平成元年)12月29日の大納会に、終値の最高値38,915円87銭をつけたのをピークに翌1990年(平成2年)1月から暴落に転じ、湾岸戦争原油価格高騰や公定歩合の急激な引き上げが起こった、1990年(平成2年)10月1日には一時20,000円割れと、わずか9か月あまりの間に半値近い水準にまで暴落した。1993年(平成5年)末には、日本の株式価値総額は、1989年末の株価の59%にまで減少した[12]

景気については、景気動向指数(CI)をみると、1990年10月をピークに低下傾向となり、1993年12月まで低下した。地価は、1991年夏ごろ(東京、大阪の大都市圏では1990年秋ごろから、地方圏では1992年、公示価格ではさらに1年遅れの1993年ごろ)に[13]、路線価も1992年初頭をピークに下落していった。

1992年春、エコノミストの高尾義一は「日経公社債情報」で「このままでは戦後最大の不況となる」と悲観的な経済見通しを公表、この見通しがきっかけで株価が急落した(高尾ショック)[14]。1992年8月、東証に上場されていた株式の時価総額は1989年末の611兆円から269兆円と半分以下となっていた[15]

本格的に全国の地価は1992年に入ってから下落し始め、1993年には全国商業地平均で前年比10%以上の値下がりを記録した[16]

金融行政においては護送船団方式が焦点となった[17]。1991年以降2003年度までで181行の銀行が倒産し、1992-2002年度まで預金保険機構が救済金融機関に援助した資金の総額は25兆円となった[18]

日本経済は1990年代初頭にバブル崩壊を経験して以来、低いながらも名目経済成長は続いていた。村山内閣で内定していた消費税の税率3%から5%への増税を第2次橋本内閣が1997年4月に断行。消費税にはビルト・イン・スタビライザーの機能は備わっておらず、増税による景気悪化が懸念されていた[注釈 1]。1997年当時アメリカ合衆国財務副長官であったローレンス・サマーズは、第2次橋本内閣が予定どおり3%から5%への消費増税を断行すれば日本経済は再び不況にみまわれるだろうと日本国政府に対して繰り返し警告していた[19]

翌年の1998年度には名目GDPは前年度比約マイナス2%の502兆円まで約10兆円縮小し、GDPデフレーターはマイナス0.5%に落ち込み[20]、完全失業率は4.1%に達し、これ以降日本は本格的なデフレーションへ突入し、「失われた10年」を経験することになる。


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