バブル世代
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日本の人口ピラミッド(世代を注記)

バブル世代(バブルせだい)は、日本で、おおむねバブル景気の時期に就職した世代であり企業の大量一括採用で多くの大卒者が大手企業に就職できた時代であり[1]有効求人倍率が1.4倍を上回る年もあった時代でもあり[2]大卒の5割以上が東京証券取引所などの一部上場企業今ではプライム相当に入った[3]とも言われた。
定義

バブル世代は、バブル景気(内閣府景気基準日付第11循環拡張期、1986年昭和61年〉11月から1991年平成3年〉5月)に就職活動を行い、入社した世代をさす。
バブル景気とバブル世代

バブル景気の時期は、1986年11月から1991年2月であり、有効求人倍率上1988年から1992年までが売り手市場であるが[4]、就職活動は入社前に行われるためバブル世代に該当する世代とズレがある。

バブル世代には1965年(昭和40年)から1970年(昭和45年)生まれ[5][6][7]1965年(昭和40年)から1969年(昭和44年)生まれ[3][8]1965年(昭和40年)から1971年(昭和46年)生まれ[9]などの定義がある。

大卒は1965年4月2日?1971年4月1日生まれ、短大・専門卒は1968年4月2日?1973年4月1日生まれ、高卒は1971年4月2日?1976年4月1日生まれがバブル世代に該当する。

なお、1990年前後の大学進学率は30%前後であり[10]、短大への進学率及び専門学校への進学率がそれぞれ10%前後[10]、さらに、大学卒業後に大学院への進学率も10%前後であり[11]、最終学歴が大卒である人がとりわけ多いわけではない。

以下に主な学歴とバブル世代の関係を示す。?の部分がバブル期に新入社した世代に該当する。

最終学歴\年度生まれ19601961196219631964196519661967196819691970197119721973197419751976
博士課程(3年制)

博士後期課程(3年制)
修士課程(2年制)

博士前期課程(2年制)
大卒(4年制)
短大(3年制)

専門学校(3年制)
短大(2年制)

高専(5年制)

専門学校(2年制)
専門学校(1年制)

高校(4年制)
高校(3年制)
中学校(義務教育)

※浪人や留年は除く、年度生まれとはその年の4月2日から翌年の4月1日生まれまでを指す。

補足

1965年(昭和40年)生まれの大卒と1967年(昭和42年)までに生まれた高専卒・専修学校(専門学校)卒・短大卒と1969年(昭和44年)までに生まれた高卒(1988年入社組)に限っては、前年の「公定歩合が戦後歴代最低の2.5%を記録」、「ブラックマンデーと、世界同時株安」、「造船不況からの脱却の遅延」などの要因により、就職は比較的困難であった。


多くの女性は「男性は仕事、女性は家庭」の戦後女性の価値観を引きずっており、専業主婦志向の女性が多数派であったが、「均等法第一世代」と呼ばれた新人類世代に続き、大都市圏の高学歴層を中心にキャリアウーマンを目指した女性も多かった。男性は団塊ジュニア世代と比べて、正規雇用率が高く非正規雇用者率が低い世代である[12]



成長過程

ここでは、バブル期に大学を卒業した、1965年(昭和40年)4月2日から1971年(昭和46年)4月1日にかけて生まれた世代について述べる。
誕生

「バブル世代」が生まれた時期は高度経済成長の後半であり、公害問題が深刻化して、四日市ぜんそく水俣病などの四大公害病社会問題になっていた時期に当たる。ベトナム戦争の真っ只中で、1968年(昭和43年)を頂点とした全共闘五月危機といった学生運動が高揚した時代に生まれた。
学生時代

「バブル世代」が小学校に入学した時期は1970年代(昭和40年代?昭和50年代)の第1次・第2次オイルショックの直前か直後であり、「四畳半フォーク」が流行した時期であった。小学時代から中学時代にかけての1970年代(昭和40年代?昭和50年代)には、この世代の間でスーパーカーブームブルートレイン (日本)ブームが席巻した。女性の間ではモンチッチリカちゃん人形キキララなどが流行した。アイドルではキャンディーズピンクレディーがブームになっていた。

「バブル世代」が中学時代から高校時代に当たる1980年代前半はツッパリ文化の最盛期で、矢沢永吉T.C.R.横浜銀蝿R.S.などの、リーゼントの髪型やロック音楽やツッパリ(不良)ファッションが、当時の学校の管理教育に反発する少年層の間で大流行した。校内暴力発生件数が戦後最多を記録したのもこの時期である(テレビドラマ「3年B組金八先生」(第2シリーズ)で「腐ったミカン」が話題となっていた。)[13]。1980年代(昭和50年代)を通して、アイドルでは松田聖子中森明菜小泉今日子たのきんトリオシブがき隊などがブームになっていた。

学生時代に、学習指導要領が改訂され、「詰め込み教育」から「ゆとり教育」に方針転換後に教育を受けた「ゆとり教育」世代を受けた最初の世代ともいわれている[注釈 1][14]。しかし、実際には、内容はほとんどそのままで授業時間だけが削減されたため(但し当時はまだ学校週5日制ではなかった)、学校では、勉強の消化不良で落ちこぼれ生徒といった問題も起きた[15]

一方、入学試験などの受験競争が徐々に激しくなった世代であり、当時の学校のいじめ問題について、要因の一つとして受験競争によるストレスが挙げられている[16][注釈 2]。高校進学率は当時は総合選抜制度や地元集中制度などの競争回避型の高校入試を実施していた都道府県も多かったため、高校進学率の低下傾向はほとんど現れず、約90%台を維持していたが、大学進学率は約30%台だった。大学・短大合格率は、1967年(昭和42年度)生まれから1971年(昭和46年度)生まれ(1986年(昭和61年度)から1990年(平成2年度))にかけて低下し続け、1990年(平成2年度)には大学合格率は63%になり、1967年(昭和42年度)の62%以来の最低の値となった[17]

高校・短大を出て就職し、寿退社するのが一般的だった女性のライフコースに、4年生大学を出て男性と同じように働く選択肢が加わるようになった[18]世代とも表現される。
女子大生ブーム世代

大都市の大学に進学した者は、バブル文化の発信源として華やかなファッションブームや文化を生み出していった。


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