この項目では、古代都市について説明しています。その他の用法については「バビロン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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バビロンB?bilim
バビロンの遺跡の一部
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別名
アラビア語: ???? Babil
アッカド語: ???? B?bili(m)[1]
シュメール語 ???? ka.dig?ir.raki[1]
アラム語: ??? B??el[1]
古代シリア語 ??? B??el
ギリシャ語: Βαβυλ?ν Babyl?n
ヘブライ語: ?????? Bavel
古代ペルシア語: ?????? B?biru
古代エラム語 ???? Babili
カッシート語 : Karanduniash, Karduniash
所在地イラク共和国バビル県ヒッラ
地域メソポタミア
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯32度32分32秒 東経44度25分17秒 / 北緯32.542199度 東経44.421435度 / 32.542199; 44.421435
バビロン
(イラク)
バビロンにおけるレンガの構造物。2016年撮影。
英名Babylon
仏名Babylone
面積1,054.3 ha
(緩衝地帯 154.5 ha)
登録区分文化遺産
文化区分遺跡
登録基準(3), (6)
登録年2019年(第43回世界遺産委員会)
公式サイト世界遺産センター(英語)
使用方法・表示
バビロン(Babylon)は、メソポタミア地方の古代都市。市域はバグダードの南方約90kmの地点にユーフラテス川をまたいで広がる。ハンムラビ法典で有名なハンムラビ王(在位前1792年 - 前1750年)が最初の黄金時代を築いてからは、アッシリア、バビロニアなど、支配者は次々と変わり、紀元7世紀にイスラムの時代に入って以降、衰退した。その遺跡は、2019年にUNESCOの世界遺産リストに登録された。
概要バビロンの平面図。外側と内側に城壁で囲まれている
バビロンが文書に登場する最初のものは、アッカド帝国のサルゴンの治世(紀元前2334年から2279年)の粘土板である。その中で、バビロンは小さな町として言及されている。ユーフラテス川の両岸に沿って建設されたこの都市には、川の季節的な洪水を防ぐための高い堤防があった。バビロンは、古代メソポタミアで勃興したバビロニア帝国の首都でもあった。バビロニア帝国は、時代を隔てて二度、この地域を支配した。一度目は紀元前19世紀から15世紀にかけて、そして二度目は紀元前7世紀から6世紀の間にかけてである。町に人が居住していた最後の記録は紀元10世紀のもので、その頃にはバベルと呼ばれる小さな村となっていた。
町は、紀元前19世紀にバビロン第1王朝が台頭したことで、小さな独立した都市国家の一部になった。紀元前18世紀にアモリ人の王ハンムラビは、古バビロニア帝国を興した。彼はバビロンを大都市に造り替え、自らをその王と宣言した。メソポタミア南部はバビロニアとして知られるようになり、バビロンはこの地域の聖地として、ニップルをも凌ぐようになった。だが、この帝国はハンムラビの息子サムス・イルナの下で衰退し、その後長い間、バビロンはアッシリア人、カッシート人、エラム人の支配下にあった。アッシリア人が破壊・再建した後、前609年から前539年まで、バビロンは新アッシリア帝国の後継である新バビロニア帝国の首都となった。バビロンの空中庭園は、古代世界の七不思議の一つとして位置づけられた。新バビロニア帝国の崩壊後、バビロンはアケメネス朝ペルシア、セレウコス朝、パルティア、ローマ帝国、そしてサーサーン朝ペルシアなどの諸帝国の支配下に置かれた。
バビロンが世界最大の都市だった時期は紀元前1770年 - 1670年頃と、紀元前612年 - 320年頃と見られている。おそらく、一番早く人口が20万人に到達した都市であったと思われる[2]。その区域の最大範囲は、890 - 900ヘクタールに及ぶものと推測される[3][4]。バビロンには50以上の神殿があり、主神はマルドゥクだった。他にも三位一体で黄道帯の支配者であるシン(月)、シャマシュ(太陽)、イシュタル(金星)などが祀られていた。
バビロンは二重構造の城壁で囲まれており、内側の塁壁は二列に並んでいて、内側の壁は厚さ6.5メートル、外側の壁は厚さ約3.5メートルあった。外壁の外には南と北にユーフラテス川から水を引いた堀があり、城門が八つあったという。また、ネブカドネザル2世によって付け加えられた外側の塁壁も二列に並んでいて、内側の壁の厚さは約7メートルあった。東部にはもう一組の二重城壁があった。いくつかの門から市内に街路が通っていて、主要な大通りの行列道路は舗装され、両側の壁は神々の象徴であるライオンや竜ムシュフシュの像で飾られた。両岸はバビロンの川底トンネルで結ばれたという。
街の遺跡は、今日のイラクのバグダードの南85km、バービル県のヒッラにあり、その境界は、面積約10.5平方キロメートルに及ぶ古代の市外壁に基づいている[5]。遺跡は、壊れた泥レンガの建物やがれきで構成されている。バビロンに関する主な情報源 ― 遺跡の発掘、メソポタミアの他の地域で発見された楔形文字文書、聖書、古代の文書(とりわけヘロドトス)における記述、あるいは(クテシアスやベロッソスなどの文書の)引用による文書など ― をつなぎ合わせても、その完全な実像に迫ることは難しい。