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出典検索?: "バナナマン"
バナナマン
メンバー日村勇紀
設楽統
別名スライドボーイズ
赤えんぴつ
T-STYLE
Mr.イロモネア
公式お兄ちゃん
結成年1993年
事務所M2カンパニー
→ホリプロコム
活動時期1994年 -
出身ライブハウス『ラ・ママ』
出会い西秋元喜の紹介
旧コンビ名陸上部(日村)
設楽日村
現在の活動状況テレビ
ラジオ
ライブなど
芸種コント
ネタ作成者設楽統
現在の代表番組バナナサンド
バナナマンのせっかくグルメ!!
YOUは何しに日本へ? など
過去の代表番組そんなバカなマン
バナナ炎
バナナスクール など
同期日村
ナインティナイン
よゐこ
天野ひろゆき(キャイ?ン) など設楽
ロンドンブーツ1号2号
渡部建(アンジャッシュ)
飯塚悟志(東京03) など
公式サイト ⇒プロフィール
受賞歴
(コンビでの賞のみ記載)
2003年 TBSラジオ赤坂お笑いDOJO3代目免許皆伝
2006年 虎の門第2回話術王決定戦 優勝
2006年 虎の門第3回話術王決定戦 優勝
2008年 キングオブコント準優勝
2008年 テレビ東京オモシロかった人大賞
2009年 第4回勝手にバナナ大賞[1]
2010年 第5回勝手にバナナ大賞(2年連続受賞により殿堂入り)[2]。
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バナナマン(BANANAMAN)は、ホリプロコムに所属する日村勇紀と設楽統からなる日本のお笑いコンビ。1993年、コンビ結成。キングオブコント2008準優勝。 1993年10月、2人の共通の知人に誘われ、4人組のお笑いグループを結成[4]。そこで設楽と日村は初めて会った。しかし、4人組での活動を前提として話や稽古を進めていくうちに、設楽は「このグループじゃダメなんじゃないか?」と違和感を抱くようになったといい、日村だけを誘ってグループを脱退し、コンビを結成[4]。 1994年2月、「設楽日村」の名でラ・ママ新人コント大会でデビューし、春にコンビ名を「バナナマン」に改名。翌年の1995年秋にOFF・OFFシアターで初単独ライブ『処女』を開催。コンビ名の由来はアメリカでの日本人の蔑称「バナナ」(外見は黄色い『黄色人種』だが、一皮剥けば白色の『白人』のごとく振る舞う日本人)を聴き覚えていた設楽の提案で「バナナマン」とした。バナナマンの「マン」はスネークマンショーが由来。 1999年、ラフォーレミュージアム原宿でYOUとのユニットライブ「FULL CHAMPION STYLES」を開催。 2000年、ラーメンズとユニットライブ「genico」を開催。同年12月よりスタートした『宝島の地図』(BSフジ)の全シリーズに出演。 2003年、長年出演してた『赤坂お笑いD・O・J・O』(TBSラジオ)にて、最終回間際に3代目免許皆伝を獲得[5]。『内村プロデュース』(テレビ朝日)の若手芸人との対決コーナーにおぎやはぎ、劇団ひとりと共に若手の一員として出演し、以降番組に不定期に出演。 2005年、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日)の企画「コンビ解散ドッキリ」に出演[6]。 2007年元日に放送の第20回『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ)で、日村はカンニング竹山と共に初優勝する。同年1月31日にで放送された特番『激突グルメ芸人料理王決定戦2007ウマイド美食祭り!』(TBSテレビ)で、設楽が初代料理王になる。同年3月18日放送の『ウルダン』(中京テレビ)で3代目チャンピオンになる。 同年3月18日、設楽の自宅が火事になる。当日は『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』(TBSテレビ)の収録日だったため、火災直後に参加し、初のゲームクリア及び100万円獲得を達成した。日村は賞金を修繕費として設楽に全て渡したという。 2008年10月、『キングオブコント』の第1回大会にて決勝に進出。Bリーグ内で500点満点中482点という圧倒的な高得点を記録[注 1]して最終決戦に進出するも、決選投票でバッファロー吾郎に2対5で敗れて準優勝となる。
メンバー詳細は「日村勇紀」および「設楽統」を参照
日村 勇紀(ひむら ゆうき、1972年5月14日 - )(51歳)
ツッコミ、ボケ担当。音楽ユニット「T-STYLE」では、ボーカルのティムラ(HIMU)[3]。
設楽 統(したら おさむ、1973年4月23日 - )(51歳)
ボケ、ツッコミ・ネタ作り担当。音楽ユニット「T-STYLE」では、DJ ティタラ(SHITA)[3]。
略歴