バッファロー
City of Buffalo
(上から時計回りに)市中心部、夕暮れ時のバッファロー市風景、ピースブリッジ 、 バッファロー貯蓄銀行 、 郡庁所および市庁舎 、 ナイアガラ広場 、バッファロー市庁舎
市旗市章
愛称 : The City of Good Neighbors, The Queen City, The City of No Illusions, The Nickel City, Queen City of the Lakes, City of Light
位置
エリー郡およびニューヨーク州の位置
位置
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バッファロー(英: Buffalo)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州北西部エリー郡の都市。カナダ国境に近い。人口は27万8349人(2020年)でニューヨーク州第2の都市である。都市圏人口は約112万人。
同名の都市はアメリカ国内に多数存在するが、そのうち最多の人口を抱え、知名度が最も高い都市である。
同市は五大湖のひとつエリー湖の東端に接し、ナイアガラ川の始点をもつ。ナイアガラ川はナイアガラ滝を経てオンタリオ湖に達する。そのためバッファローはアメリカ側におけるナイアガラ観光の基地としての役割をも有する。また、エリー湖とハドソン川を結ぶエリー運河の起点でもあり、五大湖の水上交通においても重要な都市である。
同市はまた、文化・教育・医療の中心地でもある。一時は主要産業であった鉄鋼、製粉業の衰退によって治安悪化と市街地荒廃が深刻となっていたが、近年の市街地再開発と医療、教育分野の育成が実を結び、今日では大都市でも治安はかなりいい方に数えられる。2001年にはUSAトゥデイ紙で「アメリカで最もフレンドリーな都市」であるとされた。また、2005年には、リーダーズ・ダイジェスト誌で同市は全米で3番目に清潔な都市、と評された。
市の名前は、地元を流れる小川の名に由来する。これは一般にはフランス語 beau fleuve (美しい流れ)が転訛したものと考えられている。 この地方におけるヨーロッパ人の定住は、1758年のフランス人による入植地が最初とされている。バッファロー川の河口に築かれたこの入植地一帯は、現在はエリー郡となっている。しかし、この入植地はイギリスの攻撃により崩壊した。 1789年にアメリカ独立戦争の退役兵が初めてバッファローに入植した。丸太小屋を建て地元のアメリカ先住民と交易しつつ生活した。バッファロー周辺は1801年に始まるオランダ土地会社
歴史
1812年に始まった米英戦争では、1813年12月30日にイギリス軍とアメリカ先住民の連合軍による攻撃を受け、多くの建物が焼失した。バッファローは1816年に町に昇格した。
1825年にエリー運河が開通すると、バッファローはニューヨーク市と水路により直結され、その商業上の価値を増した。このとき約2400人だったバッファローの人口は急速に増加し、1832年に市に昇格した時の人口は1万人を超えた。
奴隷解放運動時代、バッファローはいわゆる「地下鉄道」の終着点であった。南部から脱出した黒人奴隷たちは、バプテスト教会に匿われたのち、フェリーでカナダ・オンタリオ州のフォートエリーへ逃亡して自由の身となった。
1875年、バッファロー動物園が開園した。全米で3番目に古い歴史を持つ。
ナイアガラ川は全長56kmの短い川だが、標高差が99mと大きく水力発電に適していた。1895年に完成したアダムス発電所は豊富な電力を供給し、バッファローが工業都市へと発展する原動力となった[1]。
20世紀初頭のバッファローは、アイルランド、イタリア、ドイツ、ポーランドからの移民の定住地となり、人口50万人のアメリカの主要都市のひとつとなった。
1927年にはピース・ブリッジによりカナダのフォートエリー市と結ばれた。これは当時の一大国家事業であり、開通式には英国側からイギリス皇太子(後のエドワード8世)、弟ジョージ (ケント公)、イギリス首相、およびカナダ首相が、米国側からは副大統領およびニューヨーク州知事が出席した。バッファロー市庁舎
1932年にバッファロー市庁舎が建築された。30階建てで、展望デッキからはエリー湖を含む眺望が得られる。
バッファローに所縁のあるアメリカ大統領には、大統領就任前にバッファロー住民だったミラード・フィルモア、バッファロー市長を務めたグロヴァー・クリーヴランド、バッファローで1901年9月5日に狙撃されたウィリアム・マッキンリー、通常はワシントンで行われる大統領就任式を1901年9月14日にバッファローで行ったセオドア・ルーズヴェルトがいる。 バッファローはエリー湖の東端に位置している。北緯42度54分17秒、西経78度50分58秒 (42.904657, -78.849405)[2]に位置し、帯広市や釧路市(ともに北海道)とほぼ同緯度にある。
地理