バッド_(車両メーカー)
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社名プレート

バッド(The Budd Company )は、アメリカ合衆国ミシガン州トロイに本社を置く金属加工メーカー。日本語では「バッド社[1]」の通称が用いられる。
目次

1 概要

2 歴史

2.1 自動車における先駆者

2.2 鉄道における伝説

2.3 東急車輛製造とのライセンス提携

2.4 航空機への挑戦

2.5 斜陽

2.6 鉄道車両の製造終了


3 主な製品

3.1 自動車

3.2 航空機

3.3 鉄道車両


4 脚注

5 参考文献

6 関連項目

7 外部リンク

概要

バッド社はドイツティッセンクルップグループ(Thyssenkrup)の一員で、金属加工、特に自動車用の鋼材加工を主に行っている会社である。かつては鉄道車両の車体製造も行っており、特にステンレス車体の製造における先駆者的メーカーとして知られていた。

後述のステンレス製飛行艇「パイオニアI」、「パイオニア・ゼファー」号の機関「パイオニアII」、日本型鉄道車両にも用いられた台車「パイオニアIII」のように、意欲的な新製品を開発するごとに「パイオニア?」という名を自社製品の開発順に、分野に関係なく振っていた[2]

創業者はエドワード・G・バッド(Edward G.Budd)で会社名も彼の名に因む[3]
歴史
自動車における先駆者

1912年に創業したバッドは、1916年にはダッジ(アメリカの自動車メーカー)向けの車体を納入する。
鉄道における伝説 東急車輛製のステンレスカーに付けられていた、バッド社のライセンス下で製造されたことを示すプレート(写真は伊豆急8000系、元東急8000系 東急車輛製は輸出向け車輌の一部も同ライセンス下で製造し、同様のプレートがつけられた。(写真は台湾向けDR2800形気動車 東急車輛製造がライセンス生産した「パイオニアIII」台車

バッドは1930年代から1989年まで鉄道車両の製造も行っていた。特に「ショットウェルド」(shotweld, 意訳:スポット溶接)と称するステンレス鋼接合技術を開発したことで有名で、これは鉄道以外の多くの分野にも生かされた。

1934年には輝くステンレスとその奇抜な外観で有名なパイオニア・ゼファーを納入した。この車両は流線型ブームの先駆けともなり、現在シカゴ科学産業博物館に収蔵されている[3]。1949年には単行運転が出来る画期的な気動車、レール・ディーゼル・カー(en:Rail Diesel Car、通称RDC)を開発[2]。1950年代にはエル・キャピタン(El Capitan)やスーパー・チーフ(Super Chief)など当時の看板列車にも客車が使われるなど存在感があった。

このほか、1964年の東海道新幹線開通に触発されたペンシルバニア鉄道向けとして高速電車メトロライナー[2]も製造している。これは1971年に発足したアムトラックにも引き継がれ、「世界最高速クラスの列車」として初期のポスターに用いられる[4]などアムトラック初期の看板列車となった。
東急車輛製造とのライセンス提携

バッドは日本の東急車輛製造ライセンスを交わし、1962年(昭和37年)にはその成果として東京急行電鉄向け7000系電車を落成。台車にも同社の「パイオニアIII」型が用いられ[5]、日本のオールステンレス車体時代の始まりにもかかわっている。この7000系以後、東京急行電鉄では路面電車玉電を例外として[6]専らこのライセンスに基いてオールステンレスカーを投入し続け、「東急のステンレスカー」を特集した『鉄道ファン 1979年5月号』でも、バッド社が与えた影響の大きさについて編集後記コーナー「カレチ」で「東急の車両を変えてしまったといっても過言ではない」と評している[7]。これは日本国内向けにとどまらず、台湾国鉄向けのDR2700形気動車[8]などの東急車輛製造による海外向け輸出車輌にもおよんだ。
航空機への挑戦

バッドは1930年代に航空機の研究をしていたことでも知られている。同社は「パイオニアI」と名づけた飛行艇を試作し、ステンレスによる航空機製造の可能性を模索した[2]。同社製品は第二次世界大戦のときにごく少数ではあるがアメリカ海軍に納入している。
斜陽

その後、バッドは1964年より1965年にニューヨーク市地下鉄のR32形、1968年にフィラデルフィアPATCO用電車、1969年より1970年にかけシカゴ・L用2200形、1981年から1987年に同2600形などの通勤電車を製造。1975年から1983年にかけてはアムトラック向けにアムフリート客車[2]を製造し、1977年にこれを基にしたRDCの後継機「SPV2000形気動車(英語版)」の構想を発表する[9]。しかしながらこの頃には西ドイツの鉄鋼企業ティッセンによる買収が取り沙汰されるなど徐々に先行きが不透明になり[10]、果たして1978年に買収されるに至る[11]
鉄道車両の製造終了


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