バック・ロブレイ
プロフィール
リングネームバック・ロブレイ
フィル・ロブレイ
バックリー・クリストファー・ジョージ・ロブレイ3世
本名フィリップ・トンプソン・ロブリー[1]
ニックネーム悪の仕掛人
Yellow Belly
身長180cm - 185cm
体重112kg - 115kg
誕生日 (1945-01-19) 1945年1月19日[1]
死亡日 (2013-05-28) 2013年5月28日(68歳没) [1]
出身地 アメリカ合衆国
インディアナ州
マリオン郡インディアナポリス[2]
デビュー1966年
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バック・ロブレイ(Buck Robley、本名:Philip Thompson Robley、1945年1月19日 - 2013年5月28日[1])は、アメリカ合衆国のプロレスラー。インディアナ州インディアナポリス出身[2]。
生年は1942年ともされる[2]。リングネームの読みは「ロブリー」が原音に近いが、本項では日本で定着している表記を使用する。 アメリカ海兵隊でのレスリングのキャリアを背景に、1966年にミッドサウス(オクラホマ、ルイジアナ、ミシシッピ、アーカンソー)のNWAトライステート地区にてデビュー[2]。当時はフィル・ロブレイ(Phil Robley)のリングネームを名乗り、1970年2月に日本プロレスに初来日している[3]。 1971年、交通事故で負傷したためにマネージャーに一時転身[2]。その後もレスラー兼任のヒールのプレイング・マネージャーとなり、バック・ロブレイ(Buck Robley)と改名。トライステート地区ではブッカーも兼任し、若手時代のスタン・ハンセンとブルーザー・ブロディの面倒も見ていた[2]。 以降もアマリロのNWAウエスタン・ステーツ・スポーツ(ザ・ファンクス主宰)やカンザスシティのセントラル・ステーツ・レスリング(ボブ・ガイゲル主宰)などに参戦しつつ、トライステート地区を主戦場に活動。1976年3月29日にはボブ・スローターと組み、ジェリー・ブラウンとバディ・ロバーツのハリウッド・ブロンズから同地区版のUSタッグ王座を奪取、ディック・マードック&テッド・デビアスともタイトルを争った[4]。
来歴