バックミンスター・フラー
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フラー建築」とは異なります。

バックミンスター・フラー

生誕リチャード・バックミンスター・フラー
1895年7月12日
アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ミルトン
死没 (1983-07-01) 1983年7月1日(87歳没)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
国籍 アメリカ合衆国
職業思想家デザイナー構造家建築家発明家詩人

所属バックミンスター・フラー研究所
建築物モントリオール万博アメリカ館
ダイマクション・ハウス
著作宇宙船地球号操縦マニュアル
クリティカル・パス
コズモグラフィー
ジオデシック・ドーム(1967年モントリオール万博アメリカ館)ダイマクション地図(海洋)ダイマクション・ハウス

リチャード・バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fullerあるいは R. Buckminster Fuller[1]1895年7月12日 - 1983年7月1日[2])は、アメリカ合衆国思想家デザイナー構造家建築家発明家詩人。フラーが影響を与えた建築家の一人にノーマン・フォスターがいる。

フラーはその生涯を通して、人類の生存を持続可能なものとするための方法を探りつづけた。1960年代に「宇宙船地球号」という言葉を唱え、いち早く人類と地球との調和を説いた[3]。建築・デザインの分野で様々な発明を行い、特にジオデシック・ドーム(フラードーム)で有名だが、他にもダイマクション地図、工業化住宅のプロトタイプであるダイマクション・ハウス、ダイマクション自動車など数多くのものを発明した。また全28冊の著作によって、エフェメラリゼーションシナジェティクスデザインサイエンスなどの概念も広めた。

1974から1983年にかけてメンサ・インターナショナルの第二代ワールド・プレジデント。1960年フランクリン協会(英語版)のen:Frank P. Brown Medal 受賞。1967年、ファイ・ベータ・カッパの名誉会員。1968年、アメリカ芸術科学アカデミーフェロー。1970年、アメリカ建築家協会ゴールドメダル受賞。1976年、セントルイス大学図書館協会のen:St. Louis Literary Award受賞。
生涯

マサチューセッツ州、ミルトン(:en:Milton)で、Richard Buckminster FullerとCaroline Wolcott Andrewsの子として誕生。大叔母にマーガレット・フラー(ジャーナリスト、評論家、女性権利の活動家)がいる。

フリードリヒ・フレーベル幼稚園に通園。学校の幾何の授業では黒板上のチョークのドットが数学的な(空の)" 点 "を表し直線は無限に延長できるとする考え方に反論し、それを非論理的と見なすような子だった(このような考え方から、後にシナジェティクスへとたどり着くことになった)。子供時代は森で得られる材料でものを作ったり道具を自作したりし、またボートの人力推進装置の実験を行ったりし、12歳までに、"押し引き"の動作で作動し船尾の垂直壁の部分に装着する、傘を逆さにしたような形状の装置を発明した。工作機械操作者の資格を取得し、プレスブレーキなど板金加工の知識を身につける。

en:Milton Academyで学び、1913年にハーバード大学に進学するも、1年目で停学を2度くらい、退学。ハーバード通学の合間に、カナダの織物工場で機械技師として働いたり、食肉加工会社で労働者として勤務し、第一次世界大戦期にはアメリカ海軍に従軍し船舶無線の操作の仕事をしたり、レスキュー船en:USS Incaの指揮者の仕事などをした。第一次世界大戦が終了すると軍から開放され、マネジメントの仕事を求めて再び食肉加工産業に戻った。1917年にAnne Hewlettと結婚。義理の父親とともにen:Stockade Building Systemという軽量・防水・対火の家を開発した。

1922年が彼の人生の転機になったとフラーは後に振り返っている。フラー研究の著作があるスタンフォード大のBarry Katzは、フラーにとってこの時期は憂鬱や不安に満ちていたとしている。1922年、フラーの娘が4歳の誕生日を目前にしてポリオ髄膜炎合併症で亡くなる。娘が亡くなることになったのはフラーの住環境が多湿で隙間風が多かったことが原因だったのではないかと疑い、それが上述のStockade Building System(安あがりで効率のよい屋根構造のシステム。建設に手間がかからないと同時に軽量で、大きなスパンを覆うことのできるもの)の販売のビジネスをしようという動機となった。だがこのビジネスに失敗し人生に絶望[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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