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やノートページでの議論にご協力ください。バス(Bus)は、大量の旅客輸送を目的に設計された乗り物である。
多くの地域において、バス運転士になるには通常の運転免許に加え、特別な運転免許が必要とされる。
日本国内のバスについては日本のバスを参照のこと。
歴史ロンドンの乗合馬車1882年、ドイツのエレクトロモトトロリーバス実験運行中の自動運転バス(2022年)
バスの起源は17世紀にフランスのブレーズ・パスカルが考案した「5ソルの馬車」と呼ばれる乗合馬車である。乗合馬車は前部に馬を操縦するための運転席を、後部に人員を輸送するための客室を備えていた。比較的安価な運賃で利用でき、一定の経路を時刻表にしたがって運行するなど現代のバスと共通する特徴を持っていた。なお辻馬車がタクシーの起源である。
現代まで続くバスの起源であり、かつ「バス」の名の由来となったのは1826年にフランス・ナントで運行を開始した乗合馬車である。ナント郊外で公衆浴場を経営していた退役軍人スタニスラス・ボードリーは、ナント市の中心部と浴場の間で送迎用の馬車を運行していた。ボードリーは市民が彼の馬車を浴場へのアクセスとは無関係な移動の手段として利用していることに気づき、乗合馬車の事業化に専念することにした。
同様の交通機関はomnibusの名とともにパリ(1828年)、ロンドン(1829年)、ニューヨーク(同)など世界中に広まった。
1831年、イギリスの発明家ゴールズワージー・ガーニーがロケット号の発想に触発され、蒸気機関を搭載した蒸気バス(Steam bus)を何台か制作し、チェルトナムとグロスターの間を走らせた。しかしこれは乗合馬車業者の反発にあってすぐに撤退。同年、ウォルター・ハンコックがロンドン市内でこの蒸気バスによる乗合バスの運行を開始し、その後5年間に亘って営業していたとされる[1]。
1882年にはヴェルナー・フォン・ジーメンスが架線からの電気を動力とするエレクトロモトを試験運行した。その後各国で電気トロリーバスが用いられた。
1895年には世界初の内燃機関バス又はエンジン・バス(英語版)が用いられた。バスの車両は馬車によるものが19世紀末頃まで一般的であったが、自動車が発明されてからは専ら自動車が用いられることが多くなり、20世紀に入ってからは世界的に自動車によるバスが一般的となった。同一のデザインが世界中に現れ、バス製造は次第にグローバル化されている。
21世紀初頭には、圧縮天然ガス(Compressed natural gas)又はバイオディーゼルと同様、ハイブリッド・電気バス、燃料電池バス、再び電気バスへの関心が高まっている。
2010年頃から自動運転車の走行実験が行われている。2030年までには自動運転バスや自動運転シャトルの実用化を目指している[2][3]。
語源日本のバス
「バス」の語源は、ラテン語で、「すべての人のために」という意味のomnibus(オムニブス)から来ている[4]。スタニスラス・ボードリーが乗合馬車事業を始めたころ、ナント中心部のコメルス広場にはオムネ (OMNES) という帽子屋があり、「OMNES Omnibus」という看板をかかげていた。この看板が馬車乗り場の目印ともなったことから、馬車の方もオムニビュスと呼ばれるようになり、みんなのための車というvoiture omnibus という語が生まれた。ただしこの由来に関しては異説もある。乗合馬車#「オムニバス」の語源を参照。後にomnibusが英語読みで短縮されて「バス」となった。
車両詳細は「en:Bus manufacturing」を参照
本項では主に自動車によるバスの車両について解説を行うが、一概に自動車と言っても幾つかの分類がある。主な分類としてはエンジンの配置によるものや、内装、とりわけ床の構造によるもの、使用する動力によるものが挙げられる。
最も一般的なバスは1階建て非連節バスであり、より大規模な積載人数の2階建てバスおよび連節バス、より小規模な積載人数の中型バスおよびマイクロバス、長距離サービスにはコーチが用いられる。
動力源オーストラリア、シドニーのバス。大阪乗合自動車の電気バス(1937年)木炭バス(1941年)
動力源は内燃機関や電力が主流である。多くは内燃機関を用い、軽油ないしはガソリンなど石油精製物を使用する場合が多い。通常は軽油を燃料としたディーゼルエンジンが使われる。また日本の場合バス車両はどうしても出荷台数が少なく、専用に投資を行った際に採算を取ることが難しいものであり、従って自動車メーカーはエンジンやトランスミッションについてはできるだけ、より出荷台数の多いトラックとの部品の共用をはかっている[5]。
大気汚染を防ぐために、天然ガス (CNG, LNG) やエタノールなどの代替燃料を使用することが少なくない。その場合タンクを天井に設置する必要性から、強度や重心の問題から難しかったが、新しい構材の使用や天然ガス・エタノール供給施設(スタンド)の増加などにより問題が解決され、徐々に普及が広まっている。
日本では、石油燃料が統制された第二次世界大戦期および戦後の混乱期に木炭を利用した木炭バス(薪バス)や蓄電池を動力源とした電気バスなどの例があるが、のちに石油燃料の供給が安定化したため廃れていった。大気汚染対策等の観点から、後に蓄電池を動力源としたバスが再び試用される。バスの黎明期には蒸気機関を動力として使用する蒸気バスも使用されたが、徐々に出力重量比の優れる内燃機関の性能、信頼性が向上したことで20世紀初頭に廃れた。