バシャ
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バシャ
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北イスラエル王

在位紀元前900年 - 紀元前877年

死去紀元前877年

埋葬 
ティルツァ
子女エラ
王朝バシャ朝
父親アヒヤ
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バシャは、北イスラエル王国の第3代の王である。
概要

『列王記』によるとイッサカル族の出身で父の名はアヒヤ。ユダ王アサの在位3年目に、先王のナダブが軍を率いてギベトンを制圧中に彼を暗殺して王位につき、その後ナダブ以外のヤロブアムの一族も滅ぼしてティルツァで24年間王座についたが、彼は主の目の前に悪[1]を行いヤロブアムと同じ道を歩み、ハナニの子エヒウという預言者によって「罪を犯したバシャの一族もヤロブアムの一族のように滅ぼされ、町で死ねば犬、外で死ねば鳥に食われるだろう。」という意味の預言を受けたとされる[2]

またバシャとアサはお互いの生存中争いが絶えず、一度はバシャがユダに攻め込みラマの町に城塞を作ったが、アサがダマスカスに住むアラムの王ベン・ハダトに贈り物をして、アラムの同盟国をイスラエルからユダに変えるよう頼んだことで、アラム軍に北部の都市(イヨン、ダン、アベル・ベテ・マアカ、キネレテ、ナフタリ)を占領され、ラマの城を放棄してティルツァに帰還した[3]

その後バシャは死んでティルツァに葬られ、息子のエラが王位を受け継いだ[4]

一方『歴代誌』では、北イスラエル王国の話が省かれているので出自や即位の経緯は乗っていないが、上記のアサとバシャの戦争の年代が違っており、バシャはアサの在位36年目まで生きていて、そこまでバシャとアサは戦わず、この年に初めてユダに攻め込んだところ、アサが頼んだアラム軍に本国を攻められ撤退したとされている[5]
脚注[脚注の使い方]^ この「悪」は「ヤハウェに対して忠実ではない(=異教の神への信仰も行ったり、ヤハウェに対してでも偶像崇拝的な行為など)」の意味で列王記に何度か登場する表現である。
^ 『列王記』上15:27-32・16:1-4
^ 『列王記』上15:16-21
^ 『列王記』上16:6
^ 『歴代誌』下16:1-5

参考文献

『新聖書辞典』いのちのことば社、1985年










古代イスラエルの王
イスラエル王国

サウル前1000-前961

イシュ・ボシェテ前1000

ダビデ前1000-前962

ソロモン前962-前922

レハブアム前922

ユダ王国

レハブアム前922-前915

アビヤム前915-前913

アサ前913-前873

ヨシャファト前873-前849

ヨラム前849-前842

アハズヤ前842

アタルヤ前842-前837

ヨアシュ前837-前800

アマツヤ前800-前783

ウジヤ前783-前742

ヨタム前742-前735

アハズ前735-前715

ヒゼキヤ前715-前687

マナセ前687-前642

アモン前642-前640

ヨシヤ前640-前609

エホアハズ前609

エホヤキム前609-前598

エホヤキン前598

ゼデキヤ前597-前587

北イスラエル王国

ヤロブアム1世前922-前901

ナダブ前901-前900

バシャ前900-前877

エラ前877-前876

ジムリ前876

オムリ前876-前869

アハブ前869-前850

アハズヤ前850-前849

ヨラム前849-前842

イエフ前842-前815

ヨアハズ前815-前801

ヨアシュ前801-前786

ヤロブアム2世前786-前746

ゼカリヤ前746

シャルム前745


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