バシキール人Ba?qortlar - Баш?орттар
バシキール人の旗
街を闊歩するバシキールの人々
総人口
約180万人
居住地域
ロシア連邦バシコルトスタン共和国など
言語
バシキール語、タタール語、ロシア語
宗教
イスラム教スンニ派
関連する民族
ヴォルガ・タタール人、マジャル人, ノガイ人, カザフ
バシキール人・バシュキール人(bashqorts)は、主としてロシア連邦のバシコルトスタン共和国に居住するテュルク系民族。自称はバシコルト(バシュクルト)。1989年のデータで、ソ連領内に144万9千人が居住していた。
人種は、モンゴロイドをベースとするもコーカソイドの血もかなり混じっている。言語は、テュルク諸語の北西語群(キプチャク語群)に属するバシキール語。主要宗教はイスラム教スンニー派である。1910年ごろのウラル山中のシベリア鉄道におけるバシキール人の転轍手。セルゲイ・プロクジン=ゴルスキー撮影のカラー写真で世界最古の1枚 ミハイル・アルタモノフは、バシキール人はもともとスキタイの一部族「Bu?xk'」であり、紀元前1000年紀にテュルク族の西進に際してテュルク語に言語交替したものと推測した[1]。いっぽうバシュキールの名は10世紀のアラブ資料に現れ、「マジャガル」という表記もみられる(イブン・ルステ)ことから、ソ連のS.トカレフ(1958年)は西遷しなかったマジャル人[2]がマジャル→マジャガル→バジャガル→バシュクルトと名称を変えていったと考えた[3]。 7世紀?8世紀、バシキール人の祖先は、遊牧国家ペチェニェグの構成遊牧民の一部として統合されており、カスピ海沿岸及び北カフカーズのステップに居住していた。 9世紀?10世紀、南シベリア、中央アジアのテュルク系諸民族(マジャル人[2]、オノグル・ブルガル人[2]、ペチェニェグ人、ペルミ・ウグル人)は、バシコルト連合に統合された。 アッバース朝以降に著された地理書などのアラビア語資料ではバーシュギルド ?????? B?shghird として現れる。922年にアッバース朝カリフ・ムクタディルが現在のカザン周辺を支配していたブルガール・カガン国へ使節を派遣し、その使節に随伴したイブン・ファドラーン(家島彦一訳注『ヴォルガ・ブルガール旅行記』 平凡社東洋文庫、2009年9月)が旅程を記録している。バシキール人たちの居住地域はこのブルガール・カガン国に隣接していたようである。イブン=ファドラーンの報告によれば、バシキール人中において、夏や冬、風雨、樹木、ウマ、水、昼夜、天地などに神が宿り、中でも天の神(恐らくテングリ)が最高であると認識されていたようで、イスラム教よりもシャーマニズムが優勢だったことを指摘した。 11世紀?13世紀、バシキール人のオグズ系とキプチャク系の2派への分化が認められた。
名称
歴史