バグワン・シュリ・ラジニーシ
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Osho

生誕チャンドラ・モハン・ジャイン
1931年12月11日
イギリス領インド帝国
ボーパール藩王国
死没 (1990-01-19) 1990年1月19日(58歳没)
インド・プネー
国籍 インド
職業神秘家・瞑想指導者
活動期間 1972年?1990年
公式サイトhttps://www.osho.com/ja
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Osho(本名:チャンドラ・モハン・ジャイン、1931年12月11日 - 1990年1月19日)は、現代インドに生まれた20世紀の瞑想指導者、精神指導者、神秘家。21歳の大学生の時、人間意識の究極の段階に達して光明を得たという[1]。Osho自身は、宗教的ではあるが宗教の創始者ではない[2]、という。宗教的とは信仰を土台としない内面的探究や精神世界の求道であり、個人の次元でしかないから宗教組織からは全くの圏外におかれるという[2]。 真理の探究こそ第一の優先事項である、人間は全実存をかけて、まず第一に自らの生の源泉を探究することにその関心を寄せねばならない[3]という。 死の1年程前に自らの尊称を数回変えており、最終的にはOshoに定めたという。1971年3月から1988年12月までは、Bhagwan Shree Rajneesh(バグワン・シュリ・ラジニーシ)として知られていた。

Oshoは大学で哲学を学び、1960年にはジャバルプール大学教授となった[4]。1966年になると、大学を辞職し、インド各地で講話を始めた[4]。ジャイナ教、ヒンドゥー教、(ユダヤ教の)ハシディズム、タントラ、タオイズム(道教)、スーフィズム、キリスト教、仏教などの主要な伝統宗教、多様な東洋や西洋の神秘家、ウパニシャッドやシーク教等の聖典について語り[5]、すべての組織宗教の形骸化を痛烈に攻撃し、宗教的戒律は人間を鋳型にはめてしまうものだと非難した[4]。西洋の先進的なセラピーと東洋の修行法を並列的に扱って統合し、数多くのセラピーや瞑想法を創始し、精神世界のカリスマ的存在として多くの西洋人・先進資本主義国の人間を引き付けた[6][7]。仏陀からインドの諸宗教家たち、老子や荘子、達磨から臨済らの禅者、いわゆる宗教家とされる人々のテキストを題材に上げて多くの人々を魅了してきたが、晩年は禅に関する講話を集中的に行なった。[8]
思想と活動ロールス・ロイスを運転するOsho

Oshoは21歳の時に悟りに至ったという[9]。彼は第二次世界大戦後、独立した20世紀インドにおいて、最も論争の的になった人物であるという[10]スピリチュアリティの本質を統合する哲学を雄弁に語り、世界の諸宗教の神秘主義的伝統を紹介し、広く称賛されたという[11]。世界中からやってきた弟子や求道者たちに対して語られた彼の講話は650冊以上も出版され、翻訳は32カ国語以上にものぼるという。

Oshoによれば、人間の究極的な目的は光明(enlightenment)を得ることであるという[12]。それが人々の真の個性を全面的に開花させ、自己が宇宙全体から分離していない意識状態をもたらすのだという[12]。光明を得るための最大の障害となるのが人間の自我(ego)であり、これが人々を「本来の自分」から分離させてしまう虚偽の実存であるとOshoは捉える[12]。自我は、社会的条件付けによって増進していくという[12]。Oshoは、親の教育や学校教育、また道徳的、宗教的な教えなどすべての社会化を痛烈に批判する[12]。なぜなら、いわゆる教育が特定の信念体系や社会的役割を教え込み、人間を鋳型にはめこんでしまうと考えるからであるという[12]

Oshoはなかでも、組織宗教やその指導者を痛烈に攻撃したという[12]。というのも、第1に、従来の組織宗教の多くが彼岸での目的達成を掲げるため、人々が世俗的生活をトータルに亭受し、それをスピリチュアルな成長のための機会とすることを妨げてしまうからである[12]。第2に、伝統的な宗教的指導者が、本来なら自己変容の機会となるべき性的エネルギーを否定し、性に関わるタブーを生み出した[12]。そして第3には、組織宗教という権威主義的な制度によって、内的体験のうちで見いだされるはずの宗教的エッセンスを見失わせてしまっていることである[12]。つまり、Oshoは組織宗教を社会的条件づけの最たるものの1つと捉える[12]

自我を落とすために必要となるのは、いかなる価値判断もせずに自己の信念や思想、感情のパターンを見守り続けていくことであるといい[12]、過去や未来に煩わされることなく「いま、ここ」で完全に覚醒することを強調した[12]
悟りと瞑想・セラピー

瞑想とは何か? という問いにOshoは、『瞑想とは無心の状態だ それは、中身のいっさいない純粋な意識の状態だ あなたたちの意識は、たいがい、あまりにもがらくたでいっぱいだ それはちょうど鏡がほこりでおおわれているようなものだ マインドはとだえることのない交通だ 思考が動き、欲望が動き、記憶が動き、野望が動いている それはとぎれなき交通だ! 明けても、暮れても、眠りについているときまでもマインドは動いている、それは夢みている 相も変わらず考え、相も変わらず心配事や心労のなかにいる あしたのために準備し、秘密裡に準備し続けている これは瞑想なき状態だ 瞑想は、これとまるで反対のものだ 従来がとだえ、考えが止み 思考が動かず、欲望がうごめかず、あなたがまったく沈黙しているとき その沈黙こそ瞑想だ その沈黙のなかでこそ、真実は知られる[13]』と答える。

瞑想に入りやすくする為に、セラピーも積極的に取り入れた。多くのセラピストたちが、その新しい可能性を求めてOshoのもとに集まり、セラピーを行うようになった[1]。セラピーの目的は主に2つある。第1は怒りや恐怖、嫉妬など抑圧された感情を見つめ、感情のブロックを取り除いてエネルギーが流れるようにすることである[1]。第2は「ありのままの自分」を受け入いれ、気づきを高めていくことである[1]

意識変容を促進する手段として、Oshoは様々な瞑想テクニックを開発した[1]。東洋の伝統では、静かに座って思考を観照することが瞑想であったが、Oshoは思考や感情をより観察しやすいように体の動きを瞑想の中に取り入れた[1]。動の瞑想である。代表的な動の瞑想に、OSHO Dynamic MeditationR(ダイナミック・メディテーション)、OSHO Kundalini MeditationR(クンダリーニ・メディテーション) 、OSHO Nadabrahma MeditationR(ナーダブラーマ・メディテーション)、OSHO Nataraj MeditationR(ナタラジ・メディテーション)、OSHO Devavani Meditation?(デババニ・メディテーション)[14]、などがある。


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