「バグダッド」はこの項目へ転送されています。アメリカ、フロリダ州の町については「バグダッド (フロリダ州)」をご覧ください。
バグダード(バグダッド)
?????/Baghdad
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座標:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度20分00秒 東経44度26分00秒 / 北緯33.33333度 東経44.43333度 / 33.33333; 44.43333
バグダード(アラビア語: ????????, ラテン文字転写:Baghd?d, バグダード、英語名:Baghdad)は、イラクの首都。また、バグダード県の県庁所在地でもある。アッバース朝によって建設された古都であり、イスラム世界における主要都市の1つ。2020年の人口はおよそ714.4万人[1]。
日本語カタカナ表記ではバグダッドとも書かれる。 文語アラビア語(フスハー)の表記と発音(????????, baghd?d, バグダード)に忠実なカタカナ表記はバグダードで、アクセントは後半のダー部分に置かれる。 音声サンプル:アラビア語での発音 原語アラビア語で含まれる長母音?部分が短母音a化した発音が行われている[2]。 日本における中東関連学界の標準的カタカナ表記はバグダードが標準となっている。 一方メディアや一般向け書籍・記事では英語発音同様長母音を含まず、かつ外来語への当て字で多い-dad部分への促音「ッ」挿入によりバグダッドとカタカナ表記されることが今でも広く行われている。 バグダードは、2003年3月のイラク戦争でアメリカ合衆国・イギリス両国を主力とする軍の攻撃を受け、同年4月に制圧されたのち、連合国暫定当局(CPA)本部が置かれた[3]。その後、2004年6月にはイラク暫定政権への主権移譲がなされ、イラク移行政府を経て2006年にはイラク正式政府が成立し、現在に至っている。 人口増加が著しく、2025年に806万人、2050年に1509万人、2075年に2439万人、2100年の人口予測では3410万人を数える世界21位の超巨大都市となる予測が出ている[4]。 諸説あるバグダードの名前の由来に、ペルシア語の「神の都」がある。アッバース朝のマンスールが定めたこの名前は古代ペルシアの影響を反映したものであり、アラビア語の ????????? ??????????(madinat al-sal?m, マディーナト・アッ=サラーム / マディーナ・アッ=サラーム:「平和の都」) が今でも硬貨に残る公式名である。 バグダードは、イラク共和国の中央やや東寄りにあり、メソポタミア平原のほぼ中央、ティグリス川中流の河畔に位置する。その西を流れるユーフラテス川は同市付近でもっとも接近し、バグダードの南西約40キロメートルを南東方向にむけ流下している。 バグダードの市街地は、蛇行するティグリス川の両岸にひろがっている。左岸(東岸)にはラシード通りやバザール(市場)、諸官庁および在外公館、旧王宮、カージマイン・モスク バグダードの歴史は古代メソポタミア文明にさかのぼる。すでに紀元前3000年代のシュメール人の都市国家の時代、あるいはアッカド王国の時代から集落の存在が確認されており、ハンムラビ王の時代の紀元前1800年ごろの記録には「バグダドゥ」の名もあらわれる[5]。また、バグダードの周辺にはバビロン、セレウキア、クテシフォン、アカルクーフ サーサーン朝時代のバグダードは、ティグリス河畔の交通の要衝であることから周辺地域の物流の中心となった。一説によると、都市名のバグダードは古代ペルシア語で「神(バグ)の贈り物」を意味するとされる[7][注釈 2]。バグダードは、肥沃な農耕地帯の中央に位置し、メソポタミア地方の農産物の集積地として食糧事情に恵まれ、東西の隊商ルートと南北の河川ルートの交わる交易の結節点となりうる地の利を持っていた[7]。この地方が当時、新興宗教であったイスラム教を信奉するアラブ人たちによって占領されたのは、634年のことである。 バグダードは、762年にアッバース朝第2代カリフのマンスールによって新都に定められた計画都市で、南フランスから中国国境に至る広大なイスラーム帝国の中心にふさわしい都市として、直径およそ2.35キロメートルの正円の城壁が建設された[7][注釈 3]。当時のバグダードはキリスト教の司祭や羊飼いなどが住み、時おり定期市の開かれる小さな村落にすぎなかったが、ティグリス・ユーフラテスの両河が相互に接近し、サーサーン朝時代の運河(イーサー運河、サラート運河など)が密集し、これら運河が活用できるほか、対立勢力は船か橋を用意しなければならないところから、首都として防衛するのが比較的容易なところから新都建設地に選ばれた[5][8]。イスラームの年代記によれば、マンスールは灰で巨大な円を描き、その円に沿って綿油と綿の実をまいて火を付け、やがて帝都となる地の全体を眺望したといわれる[9][注釈 4]。新都建設は、4年の歳月をかけ、10万の職人と人夫、400万ディルハムの費用を投じて766年に完成した[7][9]。 バグダードは、アラブ大征服の際に軍人の駐屯地から発達した軍営都市とは起源が異なり、また東ローマ帝国やサーサーン朝時代の都市を引き継いだものでもない、純然たる人工都市であり、カリフの宮殿に伺候する多くの官僚やカリフ近臣を擁する都として、また、王朝建設の主力となったホラーサーン軍団[注釈 5] とその子孫の駐屯地として繁栄した[10]。バグダードが周到な計画にもとづいて建設されたことは、堅固な城塞に囲まれた円城(ムダッワラ)という都市プランによく示されている。ティグリス川西岸に建設されたバグダードの城壁は三重におよび、円城の内側には、カリフの勢威を内外に示すため、「黄金門宮」と称する宮殿やモスクが建てられ、それぞれのドームは高貴な色とされた緑色のタイルで覆われた。周囲には、諸官庁、カリフ一族の館、親衛隊駐屯所などが並び、 の4つの門を有していた[7]。なお、円城都市は、要する城壁が最小限でありながら、防禦に際しては死角がなく最大の効果を発揮するところに利点があった [11]。 城内に住んだのは特権階級のみで、城壁と城壁のあいだがその居住域となっており、商人や職人などの一般市民は城外に居住するよう定められた。円城の都は、直交する2条の道路により4つの扇形の区域に分かれた。道路は門を結び、門を貫いて市外へ通じ、陸上交通の便に供したが、それのみならず中央官吏の巡視をも容易なものとした[8]。市民は城外にいくつかの区に分かれて居住し、各区はそれぞれ壁で区切られ、夜間にはその出入口が閉鎖された[12]。それぞれの区には最高責任者がおり、通常、アラビア人、ペルシア人、ホラズム人など出身地ごとに集住して一区を形成することが多かった[12]。 第3代カリフのマフディー(マンスールの子、在位775年 - 785年)の代にはティグリス川東岸にも軍隊が置かれ、それにともなって商人や手工業者も数多く居住するようになって、東岸ルサーファ地区が形成され、ティグリス川に架かる舟橋はゆきかう人馬で賑わっていたという[5][注釈 6]。また、アッバース朝の歴代宰相(ワズィール)を輩出したバルマク家も、ルサーファ地区北のシャンマーシーヤ地区に大邸宅を構えていたと伝承されている[7]。 アラビア語で「平安の都」を意味するマディーナ・アッ=サラームの名が与えられた新都バグダードは、当時、唐の長安と並ぶ世界最大の都市であった[注釈 7]。人口は100万を超え、アッバース朝最盛期の第5代カリフ、ハールーン・アッ=ラシード(在位786年 - 809年)の時代には150万人におよんだとみられる[13]。
名称と表記
アラビア語
英語
UK:/bag?dad/(バグダド)
US:/?bag.dad/(バグダド)
日本語
概要ハイファ通り
名前
立地と地理概況
歴史詳細は「バグダッドの歴史(英語版
イスラーム以前
アッバース朝カリフの都アッバース朝下のバグダード(767年ころ-912年ころ)
南西の「クーファ門」(アラビア半島からメッカへ)
北西の「シリア門」(シリアから地中海を経て東ローマ帝国へ)
北東の「ホラーサーン門」(イランのホラーサーンから絹の道により中央アジア・中国へ)
南東の「バスラ門」(バスラから海の道によりインド洋を経て東南アジア世界へ)