バグダード国際空港
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バグダード国際空港
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Baghdad International Airport

IATA: BGW - ICAO: ORBI
概要
国・地域 イラク
所在地バグダード
種類軍民共用
運営者イラク政府
拠点航空会社

イラク航空

フライバグダード(英語版)

アル=ナセル航空(英語版)

標高35 m (114 ft)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度15分45秒 東経044度14分04秒 / 北緯33.26250度 東経44.23444度 / 33.26250; 44.23444座標: 北緯33度15分45秒 東経044度14分04秒 / 北緯33.26250度 東経44.23444度 / 33.26250; 44.23444
地図
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滑走路

方向 長さ×幅 (m) 表面
15R/33L 3,301×45 コンクリート
15L/33R 4,000×60 コンクリート

統計(2009年)
旅客数 7,500,000人(推計)
出典: DAFIF[1][2]
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ターミナルビル内部

バグダード国際空港(バグダードこくさいくうこう、: ???? ????? ??????‎、: Baghdad International Airport、IATA空港コード:BGW、ICAO空港コード:ORBI)は、イラク首都バグダードにある国際空港である。イラク戦争以前は当時の大統領サッダーム・フセインにちなみ「サッダーム国際空港(Saddam International Airport)」の名称であった(旧IATA空港コード:SDA、旧ICAO空港コード:ORBS)。
歴史
開港?1991年

1979年から1982年にかけて、フランス企業の技術支援の元に、約9億アメリカドル以上の費用建設された。多数のボーディングブリッジを装備し、ボーイング747型機などの大型旅客機の就航が可能で、民軍共用で年間750万人の乗降客を扱える能力を持っていた。着工当時に大統領に就任したフセインの名前を取り、「サッダーム国際空港」と命名された。

当時の3つの乗降ゲート名は、それぞれバビロンサマラニネヴェというイラクに栄えた古代都市の名が当てられていたが、現在では単純にA、B、Cとなっている。VIPターミナルも併設されており、フセイン大統領が外国からの要人等を出迎える際に使われた。

イラクのフラッグ・キャリアであるイラク航空の本拠地ハブ空港として使われ、かつてはアジア各国やヨーロッパアフリカへの定期便が数多く発着していた。また、日本航空大韓航空1980年代まで成田ソウルから欧州へ向かう際、当時はソ連領内であったシベリア上空を通過することが不可能であったことから、南回りの欧州線の経由地としてカラチと共に利用していた。そのためイラク航空、日航、パンナムが成田から乗り入れていた時代には、多くの日本人が訪れていた。

1986年12月25日、バグダード発アンマン行きのイラク航空163便(ボーイング737)がハイジャックされ、その後サウジアラビアで墜落、63人の死者を出した。

1987年11月29日、バグダード発アブダビバンコク経由ソウル行きの大韓航空858便(ボーイング707)が、北朝鮮工作員が仕掛けた時限爆弾により空中で爆破、乗客乗員115人全員が死亡した(大韓航空機爆破事件)。
1991年?2003年

1991年湾岸戦争の際にイラクが受諾した停戦決議「国連決議687」により、一旦ほとんどの民間航空事業は停止された。英米による航空禁止区域の設定により、イラク航空は限定期間のみ国内線を運航するにとどまった。国際線については、医療品や国際援助従事者、政府官僚などのチャーター機によって使用されるのみであった。

なおこの頃より、イラク航空が所有するものの国際線の運航が停止されている上に、部品の輸入ができずに使用停止を余儀なくされたボーイング747-SP型機やボーイング727型機の多くが空港内に放置されることになる。
イラク戦争中

2003年3月に開戦したイラク戦争においては、同年4月3日アメリカ軍がバグダード侵攻の直前にこの空港を占領。空港を支配下に置いた後、「サッダーム国際空港」から「バグダード国際空港」に改称した。

2003年中頃にはアメリカ軍兵士約1万人の駐在基地となり、バーガーキングなどの食料供給等を行った。また「ボブ・ホープ食堂施設」が設置され、2003年11月27日にはエアフォースワンに搭乗したジョージ・W・ブッシュ大統領が突然訪れた。またブッシュ大統領は2007年9月にも予告無しにバクダードを訪問している。

なお、空港に設置されたアメリカ軍施設は2004年に撤収され、その後は空港の再開に向け、「サッダーム」の表示は「バグダード」に置き換えられ、肖像画の類はすべて取り外された。現在も改修が進行中である。
2004年 - 2019年

2004年8月25日に公式的に民間航空事業が開始され、イラクのフラッグ・キャリアとして復活したイラク航空とロイヤルヨルダン航空が国内外への定期便を就航させたほか、DHLが民間運輸業を開始した。なお、民間航空事業開始前の2003年11月22日には、DHLのエアバスA300F貨物機が地対空ミサイル攻撃された(DHL貨物便撃墜事件)。

しかし現在でもイラクの民兵による攻撃も継続している。特に、空港とバグダード市中心部を結ぶ道路は「ルート・アイリッシュ」と呼ばれ、イラク戦争の終戦直後は世界で最も危険な道路と言われていた。


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